おはようございます
今日も朝が来ました
ありがたいことです
今日も精一杯生きましょう
今日は毎月参加させていただいている、リブリオエッセイふみサロについてです
毎月課題が出され、そこからインスパイアされたものを文章で表現し、それをお互い読み合って深めていくという会です
今回、私は書けなかった〜
何を視点にして書いたらいいのか掴めなかった
今回は、会に提出したものから大幅に書き換えました
と言っても書き換える前を知らない皆さんにはわかりませんけどね
以下あらためて書き直した文章です↓
「バンクシーから学んだこと」
バンクシー、あなたは何を訴えたいの?
私の趣味の1つに美術鑑賞がある。
昔から絵画を見るのが好きだった。独身時代に思い切って行ったルーブル美術館では美術の教科書や世界史の資料集に載っていたような絵画がたくさん目の前にあって興奮した。
なんでだろう?
絵1枚から伝わってくるものがたくさんある。
そこに広がる情景だったり、作者の思いだったり。
絵の前に立つといろんなことを感じる。
感じるのが楽しくてよく美術館に行く。
ところで今回、このバンクシーを見て、私はバンクシーが羨ましかった。
たった一枚の絵で伝えたいことが伝わる。
その表現力が素晴らしいと思った。
それより多くの人に自分の意思を伝えられることが羨ましいと思った。
たった一枚の絵がニュースとなり、そして全世界に伝わる。
私にはその力はない。
私がいくら訴えたところで誰も見向きもしない。
バンクシーとはどんな人なのだろうか?
バンクシーの絵を見るとなるほど風刺画のような絵が多い。
でもその奥に深い人類愛のようなものを感じる。
オークションにかけられた絵をその場でシュレッダーにかけてしまうような世の中は皮肉りながらそれは面白がってるような人なんだろう。
はじめは普通に絵を描いていたらしい。
壁に描くことで注目が集まるようになり、壁に素早く描くために、今のステンシルとスプレーのスタイルになったようだ。
ここまで来て突然私の見方が変わった。バンクシーもはじめから有名だったわけではない!と。
全て受け止めた側が勝手に思うこと。発信者はただきっかけにすぎないと。
バンクシーは、はじめからただ発信者として変わらない。バンクシーただ発信し続けているだけ。
それがいつのまにか受け止める側の土壌が耕され、そこに根付いただけだと。
そう思ったら、自分にもチャンスがあるように思えてきた。
ただ発信し続ける。これならできるかも。
バンクシー、ありがとう。あなたの絵で私は気がつきました。
今日も皆さんが良い方向に導かれますように、