私は若い頃よく屋久島に行った。屋久島は植物に対する私の概念を見事に覆してくれた。こんなにも植物が動的で、生きることに貪欲で、生命力に満ちた生命かと思い知らされた。一本一本の木が人の生き方のようだった。
樹齢二千年を越す大杉は、神々しい威厳を醸し出していた。どれだけの強風に耐えたのだろう。どれだけ枝を風で折られてきたのだろう。ただひたすら与えられた場所で精一杯生きてきた。自然と頭が下がる。
はたまたこれも若い時に行ったハワイで。ここは楽園かと思う場所にまたピッタリな花を見つけた。プルメリアだ。楽園を思わせる青空に甘い香りを漂わせる白い花は、この場所で若い女性が髪や胸に飾るのは納得する。
このように時々私は、植物と人がリンクする。
ところでこの『結果を出し続ける人が夜やること』を読んで、私は生き方を教えてもらったような気がした。
『竹のように』と。
きらきらと暖かな陽光を浴びた鮮やかな若緑色の葉を茂らせ、しなやかで、どんな困難にも折れず、かと言って抗わず、風になびきながらも地下ではしっかり根をはれと。そしてしっかり張った根から、春が来たならば竹の子のように伸びろと。そう言われているような気がしてならない。
これは単なる私が受け取ったインスピレーション。
『心を整え、前に向く時間を意識して持つことで、日常でブレた自分を本来の自分に戻すことができます。』(本文より)
これが後藤氏の生き方。
だとしたら、私は何を目指す?
今、玄関先に目を向けると、西日を受けたプランターで、ポーチュラカが青空に向かって元気に咲いていた。
ポーチュラカ 花言葉 元気
…
実はこの書評会には、後藤先生ご本人も参加されています。毎回書評の中から後藤賞が選ばれるのですが、私は準後藤賞にノミネートされました。
ノミネートされただけでも嬉しい。なんと言っても著者ご本人の評価だから。
今、この書評会での作品集が出版に向けて動き始めたようです。
もちろん私一人の力ではありませんが、何か形になるものに向かっていけるのは、嬉しいことです。
あらためて発信していくことの意味を考えていこうと思いました。