11月26日に母が亡くなった。

10月まで母は元気だった。

家庭菜園で採れた野菜を干したり漬物にしたり 父と温泉旅行に行ってきたり 

平凡だけれども充実した日々を送っているように見えた。

11月になると 身体がだるいと言って ほとんど食べ物を受け付けなくなった。

いくつかの病院で診てもらったけれど良くならず 大きな病院に入院し 検査を受けたら難病に指定された病気と診断され 大学病院へ転院になった。

コロナ禍で面会も儘ならない。

母に会えたのは 主治医の先生から 治療方法がない との説明を受けた日と 危篤のため呼び出された日だけ。

母の死が突然過ぎて 私はまだ母が亡くなったという実感がない。

母の看病をしていないし 苦しむ姿をほとんど見ていないからかもしれない。

それから もともと生活のリズムが違うので 同居していてもすれ違いばかりで 顔を合わせる時間も少なかった。

だから 母は長旅に出ていて今は会えないんだと錯覚しそうになる。

いや 錯覚しているのかもしれない。

そんな私でも 荼毘にふす時は泣いた。

母が亡くなっても 遺体があると無しでは心の持ちようが違う。

遺体があると まだ母はそばにいるという安心感を得られるけれど 遺体が無くなってしまうと もう母には会えないんだ 触れられないんだ 話せないんだと 悲しみがどっと押し寄せて不安になる。

それでも あんなに泣いたのに 今は普通の生活に戻っている。

四十九日前なのに。

もっと悲しまなくて良いの?

普通の生活していても良いの?

早すぎない?

こんな気持ちになるのは きっと 不完全燃焼だからだ。

母の死を頭では受け入れているけれど 母の死と向き合う体験が少ないから 戸惑うのだろう。

頭と心が一致する時は いつか訪れる。

その時は大泣きするかもしれないけれど それまでは 悲しまない自分を悪く思わず 残りの人生 後悔のない生き方をして行きたい。