あたし和光は、ただいま絶賛「恨まれて」いるんです。
発端は、大したことはないけどとあたしは思っていますが、そのあたしに恨みを感じているTさんはマジで本気です。
「恨みとは腐敗した怒り」と家族機能研究所の斎藤学先生は仰っていますが、あたしは最初この文章を読んだとき、怒りが腐敗って何かなあ。
とよくわかりませんでした。
感情的に怒っているのに、腐敗って腐ること?どうやって感情が腐るの?って、わけのわからないことを考えていたのです。
そして、怒りは感情の言葉で出して相手に目で見て共感してもらわないと収まらない。
とも読んで、なんかめんどくさいなあ。
相手に怒って文句を言えばいいじゃないのかな。
と思ったものです。
よく海外のテレビドラマをみていると、「いいかい。話をちゃんとするときは相手の目をよく見て話すんだ。」
「よく私の目を見て話してね。」
とか外国のドラマや映画にはよく出るのですが、わが日本では、そんなに相手の目を見ると失礼かなとか恥ずかしいとか思うのが通常で、外人はなんだか話をする時まで、日本人と違うなと思っていたのです。
それはともかく、あたしはこのTさんに、「お付き合いしたくない人」のカテゴリーにいれられて、挨拶もしてもらえないし、むっとした顔をされたりしているのです。
何しろこの方は、今今にこやかに他の誰かと歓談していたのに、あたしの顔をみると180度違う表情なので、あたしは心の中で「すごい」あたしにはできないといつも舌を巻いています。
まるで、顔が入れ替わる恐い系のお人形さんのようです。
ホラーとしか思えません。
あたしは、よほどの恨まれ方をしてるらしいです。
でもね、あたしは一度は聴いたんですよ。
何故そんなに怒っているのかって。
だって、どんな理由でそうなっているかぐらいは一度聞かないと対処も解決も無理です。
第一、この方はあたしが訊ねる前には、私になぜ怒った態度なのかについて話をしようともしませんでした。
態度でだけしめすので、わたしはなぜかを考えないといけませんでした。
おはようございますといっても、知らんぷり。
だれかといっしょにいるときには、その誰かに気を使うのか、挨拶を返すのですが、コショコショッと小さい声であらぬ方角を見て言っています。
なんだかなぁ・・・って考えちゃいました。(それ、あたしより年上のする態度かなあ・・・。ごめんなさい。笑っちゃう・・)
でもさ、なんだかわからないと対処の使用もないし、そんなに大きい怒りでなかったら、普通そんなことしていても忘れたり流れて行ってしまうもんです。
家族や、友人の間ならそうやってやり過ごすことも多いと思いますが、この方は仕事の先輩です。
何を考えているのか、ざっと三か月は、見ていると同じ態度だったので、いよいよ聞かないといけないかなと考えたのです。
まあ、ダメもとで、コミュニケーションスキルがあまりなくて上手なほうじゃないあたしですから、ちょっと胸を借りようかなってっも思いました。
それに、あたしのお母さんは、いつの間にか怒っていることがあり、口を利かなくなるところがあったので、よく言えば、またこういう人に出会ったもんだとも思いました。
つまり、慣れっこのあたしにそんな態度をしても、あまりお仕置きが応えない残念な結果となっているわけです。
だって、そういう、すねた態度で示して考えさせるって、ただの迷惑なんですよね~。
面倒だし~。
いや、本当なら、すごく考えたりしなくちゃならないのかもしれませんが大人になると、何か解決するなんて熱いことは面倒だから放置しようと思ったんですけどね。あはあは。
でも、よっし、レッツ練習
で、この時に聞いたから、そういうわけなんだと理解できました。
でもさ、内容は、シークレットです。
えへへ。
ずっと前のあたしなら、こうなっても自分が何かしたのだろうと自分の中に原因を探して自滅してましたが。
この頃のあたしは、ちょっと違いますから単刀直入に聞きました。
気分を害したらしいそのことにすぐ謝りましたが、「お付き合いはしたくないので。」と言われました。
あたしは、Tさんにそのことについてもっと説明しようとしましたが、聞こうという態度ではありませんでしたから、あたしはすぐに諦めました。
この方は、実は育った家庭環境が厳しかったからです。
そのことは、もめる前にご本人口から聞きました。
あたしは、速攻「この人は難しいかも」と思いましたが、何しろ様々にアプローチされるので避けるといっても巻き込まれて仕方なくお近づきになっていったのです。
あたしのようなアダルトチルドレンは、同じアダルトチルドレンの方々とあまり付き合わないほうが良いと以前から学んでいます。
何でもない人は、それをかわしたり、距離を自由にとってうまく付き合えるのですが、あたしは得意じゃなくていつも逃げ遅れて失敗することが多く、友人に、「だから、わかっているのにまたそうなるなんて‼紙に書いて張っておきな‼」とよく突っ込まれています。
勿論、その方が、より良い回復と成長を目指している人ならいいんです。
互いに許しあったり学んだりしていけます。
でも、このTさんは、違うようです。
たぶん苦労も多かったのではないかと思っています。
その苦労は、人により成長の糧となりますが、残念ながら人により大きく怒りを自分の中にとどめおいて、「腐敗」させてしまうのです。
心の底のほうで、起きた出来事にいつまでも怒っているから、いわゆる通奏低音しているので、何かのきっかけで方向が付くとまとめて相手に吐き出してスペシュウム光線を浴びせてしまうんですね。
皆さんは何かしでかした時、相手によってどうしてここまで怒るのかわからないと思ったことはありませんか?
そんなに怒りを買うほどのことをしたかなと思ったことはありませんか?
場合によっては、相手の怒りを買うようななことをしでかしたのかもしれないですが。うふふ。
でも、そうじゃないとき、もしかしてそれは、単に相手の怒りのはけ口になってしまっているだけなのかもしれません。
勿論、関係ない人に怒りを出しても受け入れられないし共感もしてもらえませんから、無駄に恨むようになること請け合いですが。
ちゃんと感情も含め話し合って、事を終わらせるのが成長を目指す人間です。
残念ながら、Tさんにはその人間関係のコミュニケーション技術がないようです。
もしかすると、本人でさえなぜそんなに怒りが爆発して延々と怒り続けるのかわかっていないかもしれませんね。
ご本人は、話をする価値がないとかそっちが悪いのだとか考えているかもしれせんが、あたしから見ると、単に相手との葛藤に耐えられないからきちんと話ができないのだと思います。
そんな方は自己肯定感も低く、自分が優位でないことには実に消極的になってしまいます。
そのことがズバリあたしの過去ですから、はっきりとお伝え出来ます。
自分のことでいえば、まあ、弱っちいから葛藤に耐えられないんですね。あはは。
皆さんが、誰かとけんかしたと思ってください。
イライラしますよね。
そんなとき、会社や行った先で、ちょっと何があったとします。
「全く今日はろくでもない日だ」って思ってドカンと怒りが出ちゃいますよね。
その怒りは、解決も誰かに聞いてもらうこともできない。
このあとも、延々んとうまくいかないことがどんどん重なって一向に良くなりません。
そうやって、手放せないでいると、山ほど積み重なっていって腐敗していくんですよ~。
ぷ~んと匂うかもしれませんね。💩
子供の時にそんなことが多く起きて、親に吐き出すこともできず、ひたすら我慢して、あたしのように突然兄弟に発散してみたり、大したことがなくてもメチャクチャ恨みがましくなっていくんです。
兄弟に発散したときなんて、さほどのこともないのに沢山怒りが出てしまい、弟が何もしないのにひっかいて泣かせたりしましたから、子供心に怒りをたくさん抱えていたことは今ならわかります。
大人になっても、こんな状況の人は沢山います。
でもね、とってもずっと良い人だと思っていたのに、何かあって突然に手のひらを返して恨んで怒ってきたら、それは豹変です。
180度正反対の態度を受けたら、人間不信や恐怖を感じることがあると思います。
今のあたしは、メカニズムさえあたりが付けば、恨んでくる相手には「わからないのだよな」と同情を禁じえません。
多分、相手は、あたしが「かわいそうに」と思ってやり過ごしているなんて思いつきもしないでしょう。
あたしがPTSDになったときも、その時の相手の方は多分、「こいつは怒っていい」と思ったのでしょう。
怒りを発散してもよいのだと。
でも、どこまでその怒りをだしてよいのかはわからなかった。
あたしに、怒っていいのだと思った途端に今まで積み重なった「腐敗した怒り」を発散したのです。
あることないことを、周りの人々に話しましたし、権威のあるある方でしたから周辺の人間はそれはそうだと了解し、あたしはだれ一人味方になってももらえず、また正しく起きたことをとらえようとする人もいませんでした。
そんなに爆発しないで、何が気に入らないのか言って解決するのが大人のコミュニケーションです。
でも、この時、この方は、権力も使いたかったのか、人任せで、その方々も御自分の考えをあたしに言っただけで問題解決のための話合いはありませんでした。
この以前にも、この方が難儀にあった時に暴れてよいのだと相手をケガさせたというような話を聞くたびに、あたしはドキドキしていました。
それは、やっつけてよい相手ができて嬉しかったという事なのです。
共感能力が弱いから、相手の痛みに鈍感です。
自分の中にたまっている怒りを発散させられるのでしたいのかもしれません。
相手がどんなに苦しいかなんて、よくわからないからできることかもしれませんね。
という暗~い過去のあるあたしなんで、今回のこのTさんにはあたしも最初から警戒はしていたのです。
でも、あたしって元々のんき者ですから、はた目にはとても良い人のこのTさんの生い立ちが厳しいものであったことを聞いてからはかなり警戒して見ていたのですが、それが足りなかったのですね。てへへ。
結果論ですが、コミュニケーション能力が今一つなせいか、やはり適正な距離をあけられず、失敗してしまいました。
また、次の練習を待ちます。
健康な心なら、言いたい感情を伝え解決し、それでもだめなら距離を開けて終わらせればよいことなのですが、アダルトチルドレンはそんなことは苦手です。
つまり、成長の過程で身に着けることができなかったスキルがあるということです。
自己肯定感だったり、共感能力だったり、コミュニケーションスキルだったりさまざまな感覚や技術を駆使して人間は生きています。
人の間って、生きるためや繋がるためのスキルの宝庫なんです。
昔から「育ち」でその人を判断するという慣習があります。
良し悪しは別として。
怒りをためやすい環境で成長してしまうということは、そういう考え方もあながち間違いではないのかもしれません。
でも、現代は、あたしのようにいらない怒りを捨てて人間関係のスキルを身に着けて幸せになっていくこのもできるのです。
是非いろんな方々に、回復と成長をお勧めしたいです。
あたしは、本当はTさんに伝えたい。
本当に世界の中心で、絶叫したい‼くらい。
貴方が、辛い経験で悲しい怒りを抱えてきたことはわかります。
でも、それを捨てると苦しみから解放されて幸せになります。
それに、あなたの怒りは誤解です。
私と話をしてください。
と。
でもね、たぶんあたしは伝える機会はないと思います。
だって、Tさんが聞きたくないのに、あたしと付き合いたくないのに無理強いすることはしたくありませんもの。
時々、むっとした顔を向けられて、疲れるなと思うのですが、距離を取ることで逃げましょう。
たまに、エスカレートして嫌な態度を取られるのですが、まあ知らぬが仏ですよ。
しゃーないのです。
ただ、あたしが無反応なので、遠慮がなくなってきています。
怒りを発散させて良いと思っていて、その上距離感がつかめないのでしょうからすごく困るのですが、Tさんの生い立ちが厳しいものであるという事はその行動の端々に見うけられます。
なんだか、同情してしまうのです。
その苦しんでいる怒りを手放したら、もっと幸せな気分になるのに。
あたしなら、そのお手伝いができるのにって。
全く余計なお世話なのですが。
もちろん、あまりにひどければあたしも何とか自己主張しなければなりません。
それまでは、ちょっとした逃走ゲームでありますが。あはははは。
怒りは、捨てようと思えば【マインドフルネスタッピング(R)】で捨てられます。
すっきりした気持ちで、「この世はテーマパーク」ですから人生を楽しみましょうね。
あたしは、この頃、「自分は家族に大事に思われていない。」とか、
「誰かに助けてと言ってはいけない。」
「期待しても実現しない。」なんて思い込んでいることに気が付きました。
気が付くたびに、【マインドフルネスタッピング(R)】で外しています。
自分が幸せになれない思い込みーソフトは消すに限りますよ。
目下、受験の方のために特別セッションを設定しています。
そのほかのタッピングについてもお問い合わせくださいね。
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参考:【マインドフルネスタッピング(R)】一般社団法人 イーモアマインドクリエーション協会