週刊現代での自分のコメントは、自分のコメントではなかったので。 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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昨日発売の週刊現代のグラビア特集のなかで、私のコメントとして、「私のコメントではない文章が載っている」ので、すみません、、、ここで小さな主張をさせてください。

 

文中には、私が絶対に言わない言葉があります。
一つ目は、「一般的」。
一般的ってなんでしょう。
誰の何を指して「一般的」なのでしょうか。
しかも「かつては」ってのも、誰の何の根拠からでしょう。

 

「自信」についてのスポーツ心理学における研究は、それはそれは興味深いものが多いです。自信の定義については、よくアスリートだけでなく、企業の皆さんにもお伝えすることです。そのことを「ライターの勝手な思い込みでの表現」で書かれています。

 

もう一つは、「メンタルトレーニングの世界では」。
それはどこでしょうか。
こんな世界あるんでしょうか。
こういう「ふわっとした表現」、一番、自分が使わない言葉です。それはなぜか?こういう言葉は、印象操作になるからです。

 

最後の方での課題志向についても、表現が間違っています。

 

週刊誌ですので、インタビュー取材後にライターさんが記事にするまでの時間、そして、それを印刷するまでの時間が恐ろしく短いことは知っています。なので、必ず最終原稿の確認ができなければ取材は受けないことは、いつも伝えているし、今回も最終原稿の確認は必ずさせてください、という連絡をしていました。

 

とくに自分自身は、アスリートのメンタルにおける「言葉」の使い方には、とても注意をしています。
それはなぜか。

 

自分が元選手、元コーチだからこそ、私見や実践知と、先行研究からの根拠との境目をしっかりしたいからです。思い込みをしないこと。自制と自省で注意していることです。(注意してないと、自分で境目がわからなくなるからです。それでは、選手の前でメンタルトレーニングを伝える者として失格です)

 

まだまだ日本では、メンタルトレーニングの理解が表層的です。誤用も多い。
 

だからこそ、どんな専門領域からでも、心や脳に関心があり、勉強されているたくさんのみなさんと、「一緒に」知識を高めていきたい気持ちがあり、決して自分自身が言葉の誤用をしない、自分自身が「言葉の一つ一つに意味を持ち、根拠を持ち、定義をつねに背景に持ちながら」伝えていきたい想いがあり、そこは必ず、取材時に自分自身が言うことですし、私のマネジメントも大切にしてくれていることです。

 

今回は、残念ながら、冷静にどれだけ経緯を考えても、自分側でコントロールできる回避策はなかったようで、編集側の方々からはお詫びを何度もマネジメントにいただいたようですが、それではということで、SNS上で、小さな言い分を書きますよ、ということをご許可いただき、掲載しています。(あれ、小さくないね。笑)

 

この週刊現代の特集自体は、とても素敵なものだと思います。10代のみなさんの多方面での活躍は、素敵なことです。

 

下記が、私の「本当に」伝えたかったことです。
 

ぜひ、これからもたくさんのみなさんと一緒に、専門領域を超えて、スポーツ心理学の先行研究の面白さ、メンタルトレーニングの実用性の濃さ、深さ、を広めていくことができればと思います。

 

「自信は、“自分の”過去の経験から得られることは容易に想像できるかと思います。自分が勝てば自信になる、という考え方です。しかし、スポーツ心理学の自信の研究では、“他者の”成功経験から得られる自信、というものがあり、彼らはこの自信を上手に共有しているのです」(メンタルトレーニング上級指導士の田中ウルヴェ京氏)

 

 「私も同じ10代なんだから、同じ日本人なのだから、できないはずがない、という心理です。実際、池江さんは平野さんと仲がよく、互いに連絡をとり合っています。SNSなどの手段が具体的な情報収集をラクにし、互いの試合で必要な心理面さえ、すぐさま共有できる。将棋の藤井くんも同世代ですが、この自信の作り方は、他人の結果を自分事としてちゃんと感じることのできる賢者の相乗効果です」(田中氏)

 

 さらに彼らは勝ち負けだけをみていない、と田中氏が続ける。
「トレーニングや学習方法は昭和の時代にくらべ飛躍的に進歩しました。数ある選択肢から何を選び、こなしていくか。結果に至るまでのプロセスで、新しい知識や技能の習得を目指す課題志向を持ちあわせていることも彼らの共通点なのでしょう」

 

以上、朝っぱらから失礼しました。