仏教と私。歴史に残る人物になりたいと思っていた小学校時代。 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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下記の原稿は、藤田一照さんのメールマガジンにずいぶん前に書かせていただいたものです。

五輪のことも書いてあるし。
競技引退のこともあるし。
ここにも載せることにしました!

はい。
怪しい子供だったということで。。。


仏教と私

この原稿を書かせていただくご縁は、先日、慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント研究科の前野隆司教授が主催されたマインドフルネスのイベントでの登壇で、藤田一照さんとご一緒したからだ。

イベント前の控え室で初めて藤田さんにお目にかかった時、「この人は若い頃はかなりのクセものだったはずだ」と勝手に判断し、一目惚れした。(私にとって「クセもの」は褒め言葉である)さらに後ろ姿を盗み見すると、骨盤がずいぶんとしっかりしておられる。「ん?この骨盤の形は、果たしてどういう使い方からだ?」と考えだしてしまって、藤田さんの「人となり」に興味が湧いた。イベント終了後には、「一目見て好きになりました」という、言葉だけ書くと、大誤解をされそうなことを真剣な顔をしてご本人に申し上げた次第だ。

さて、そんなわけで、カトリック信者の私であるが、仏教と私について書くご縁を頂いている。私は、現在、テレビの報道番組でコメンテーターをしたり、ラジオ人生相談で回答者をしている。(そういえば藤田さんはニッポン放送の長寿番組「ラジオ人生相談」がお好きだそうで、番組の裏話は大変喜んでいただき、こちらも嬉しかった。)

出演時の私の肩書きは、ほとんどの場合二つある。一つは本業である「日本スポーツ心理学会認定メンタルトレーニング上級指導士」。もう一つは過去の栄光の「ソウル五輪シンクロデュエット銅メダリスト」だ。元選手なので、オリンピックやパラリンピック、プロのアスリートへのメンタルトレーニング指導も多い。ただ、経営的には、それだけではやっていけないので企業での人財開発コンサルティングや企業研修、講演を生業としている。

私は、キリスト教の学校に幼小中高と通っていたので、仏教についてはあまり馴染みがなかったが、いわゆる「自分との対話」と「瞑想」は10歳頃から好きでやっていた。当時の誰にも言えない自分の関心事は「私はなぜ生まれてきたのか」「死んだらどうなるのか」ということを学校のお御堂で神様に向かって質問することだった。やがて「自分が死んだら、他人は私を忘れちゃう。それは悲しい」ということに気づき、「では、歴史に残る人物になるしかない」と決めた。ちょうどそのころから本格的にシンクロに取り組んでおり、超負けず嫌いという性格も加味して、競技に邁進した。
 
競技生活10数年の間にオリンピックに出て、引退し、アメリカでスポーツ心理学を学び、起業して今にいたるが、それぞれ山あり谷ありだった。どんな深い「谷」においても、救いは「自分との対話」と「瞑想」だった。最もキツかった「谷」は競技引退後の数年だ。五輪メダリストという小さい頃からの夢を叶え、シンクロ選手として最高の終わり方ができたにもかかわらず、いや、もしかしたら、だからこそ、その後、「シンクロをとった自分はいったい誰だ?」というアイデンティティ葛藤をした。まだ22歳という「まだまだこれから」の若さなのに、メダル以上に「ステキなこと」が次の人生では全く見いだせず、人生自体にも悲観した。「普通の社会」はとてもつまらなく、薄いものにみえた。当時の自分にとっては「いや、自分が薄い人間だからこそ、周囲が薄く見えるんだよ」という当たり前の事実に気づきたくなかった。

結果的にその頃からアメリカの大学院で認知行動理論を学び、アスリート特有の競技引退時の心理葛藤の研究をしながら、自分自身が救われていくのだが、それでもまだ、シンクロ以外のキャリアの方向性に悩んでいた時、誰だったか、どこでだったか、次の言葉を学ぶ。

「仏教には勝者という言葉がある。人生を強く正しく生き、生死の不安、恐怖、苦しみに負けないで、打ち勝った人のこと。」

これには涙があふれて止まらなかった。そうか、引退後もまだ勝負をしていいんだ。心はアスリートでいいんだ。弱い自分との勝負を続けていいんだと思ってからの自分は確実に前を向いた気がしている。

私はウルヴェさんというフランス人と結婚し、2人の子供を持つ母親でもある。仕事と家庭の両立は、「両方をちゃんとこなそう」なんて思っていては到底無理だが、感覚としてはワークとライフは「バランス」ではなく「シナジー=相乗効果」だと思っている。メンタルトレーニングを指導する立場であろうと、テレビの前に立つコメンテーターであろうと、母であろうと、常に「強く正しく生きる」。不安や恐怖に「負けない」のではなく、まずはその感情に気づき、認め、そして前を見る。この軸は、どの立ち位置でも使えることで、それぞれの立ち位置で学んだことをシナジーできるとも思っている。

と、グダグダ振り返らせていただけたこの機会。頂戴できたことに本当に感謝である。ご縁をありがとうございました。