スポーツ人として、英語を使えるということ | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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若い選手の方々から、いただく質問で「どうやったら英語が話せるようになりますか?」ということは多いです。


ま、英語は勉強するしかないのですが。笑。


で。


まず、英語を話せる、ということと、英語をスポーツ、いや競技の国際舞台で「使える」ということは違うと感じます。


英語を勉強して、「話せるようになる」と、そりゃ現役選手にとっても良いことはたくさんあります。


1)海外の選手と友達になれる

なんていうことだけでなく(もちろん、それだって大事ですが)


2)海外の選手たちと自分の競技についての談義ができる

3)テクニカルな話をしているうちに、技術交換をしちゃったりできる

なんていう選手にとっては、たまらないマニアックな楽しいことだけでなく、


4)海外試合で、無駄な緊張がなくなる

5)とっさのルール上の問題を自分で解決ができる

というような勝負に大事なことにも良いことはあるでしょう。


話せるだけで、心理的に余裕ができるということは当然あるでしょう。


そして。


使えるということ。


英語をつかえる、というなかには、私は、「たんに英語が話せる」だけではない大事なスキルが含まれていると思っています。


それは何か。


クリティカル、ラテラル、ロジカルシンキングをもって、欧米では当たり前の「伝え方」ができることです。


英語が話せるだけじゃ、国際会議で、日本側の意見なんて聞いてもらえないです。


伝え方の方略は、やはり欧米のものにあわせていかなきゃいけないことも多い。


でも、ここで大事なのは、「日本人であること」を軸に置くことでもあります。


自分の場合は、日本女性としての誇りは持ち続けること。


でも、それって何か。


日本女性とは、何か、という定義を、自分で決めていて、そして、自己客観力によって、「他国の人が勝手に思っている日本人女性像」も想像していることが大事です。


たとえば、自分が国際会議などで、日本女性として気を付けることは、日本の文化にある謙虚や礼儀や年上を敬うことや、寛容でいること。


べつにどの世界にだって大事なことばかりでしょうが、特に、謙虚さや、礼儀を持ちながらも、しっかりと、ロジカルシンキングをもって、伝えるべきことを伝えていくことは大事です。


海外とのビジネス折衝においては、だれもが当たりまえにやっていることだと思います。


そもそも、自分自身、起業してから、アメリカの公共機関との契約の取り交わしなどで、さんざん面倒な英語をやらなければいけなくて、「しかたなく」結果的には、学んだ事柄が、スポーツ界での国際的な話し合いにおいても、活用できたに過ぎないわけです。


ま。


国際社会で、たんに英語を話すだけでなく、いや、たとえ英語がネイティブのようじゃなくても、全然いい、


英語を話すだけでなく、使えて、ネゴシエーションができて、世界にとっても、相手にとっても、日本にとってもWINWINWINな解決策をもっていけるイニシャティブを、日本がもっていけると、そりゃ素晴らしいわけで。


スポーツ界でも、引退後のスポーツ選手が、英語を話し、しっかり使えるようになるための、伝え方の方略がもっともっと浸透していくと、素晴らしいな、と思います。


ま。

しょせん、つくづく思うことは。

会議での議決前に、前の晩にホテルのバーで、みんなで飲みながら話し合ったこととかが、やっぱり大事だったりするわけで。


その意味では、オフィシャルな会議前後に、いかに、各国の代表たちと、プライベートの食事会、飲み会して、どっぷり入れるかどうかってのも肝になりますが。笑。


そして、その飲み会とかで、「今の日本の経済や政治」について、説明できたり、「そもそも日本は歴史的にね、、、」と歴史的背景を話せたりってことで、ぐっとみんなを仲間にできることがあるわけで。


そのあたりは、ロビーングとしても、とっても重要だったりすると感じます。


ということで。


今日は、最近、よく聞かれる、英語についてちょっと書いてみました。


つらつら系で書きましたので、支離滅裂おゆるしを。