欲張りの方向を1点に集中するということ | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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あまりの反響の多さに驚きました。

公表しているメールアドレスへの沢山のご質問、またコメントも頂戴し。


すみません。

自分の説明能力のなさに反省しております。


ううう。

もっとおばあちゃんになって、もっとまともになったら、少しはまともなことを整理して書けるようになれればいいんですけど。


まず。

最初に書きます。

いつも真剣に読んでくださっている沢山の学生さん、、、なのでしょうか。沢山のおそらく私よりもお若い皆様。

本当にありがとうございます。


そして、いつも沢山のメールを頂戴し、本当に感謝します。


さて。

気づきはいつも非常に感覚的なのですが。


ふと思ったので書きます。


のらくろさんからもこのブログ内では、コメントで質問を頂戴しておりますが。(ありがとうございます)


ううう。

頭に浮かぶすべては、執着だと思います。

そして、そのなかで、「いらない執着は捨てる」ということでしょうか。執着しているということは、欲しいものなわけなのですが、それをいかに、潔く捨てるか、、、。そして、捨ててみたら、結局、なんだ捨ててないじゃんって思う感覚でしょうか、、、。


自分が本当にしたことはじつはなにか。


この世のなかで、自分が本当にしたいことを3つに絞らなければいけなくて。

たとえば神様が目の前に現れて、三つだけなら今、この目の前で叶えてやる。しかし、非常に具体的でなければ、ダメだ、と言われたら、なんと答えるか、、、ということを考える時に、おそらく、本当はいらないものなのに、欲張りだからほしいだけ、という執着しているものがみえるのではないでしょうか、、、。


私の場合は、なんかこう、8つくらい自分のまわりにチョイスがあって。

でも、ふと気づいたのは、そのどれかを選択するのではなく。

ああ、なんだ、「選択しないでいいんだ」と思ったことでしょうか。


すーっと魂の思うことを「感じて」、自分の固定概念を捨てて、社会概念をできるだけ取り払って、できるだけ一つ一つの道を、量的にとらえるのではなく、質的にとらえると、「なんだ。欲張りで思っていた、8種類くらいのものは、上から見ると1点に過ぎないじゃないか」


ということでしょうか、、、。


私は人生の選択でいつも悩んだ一人です。

間違いばかりをしています。

自意識過剰だし、自己満足系だし、依頼心が強いし、欲張りだし、他人の気持ちのわからない人だし。


一応、いつも反省をすっごくしているんですけど、あまりのひとでなし過ぎて、いっつも同じ間違いをしちゃったりします。


こんなに欠けた人間もめずらしいなー。アホちゃうか、と自分で情けなくなります。


うーんと情けなくなった時に、悲しくなって、

「あー神様、ごめんなさい」

と思うこともしょっちゅうあります。


でも。

落ち込んでいる時こそ、勝負なので。自分との。

落ち込めることを、失敗したということを、与えてもらえるということは大事なことなので。

失敗がないと、私なんかは、向上感を生めない人なので。


だから、「ありがたい」と思って、執着を捨てるという感じでしょうか、、、



あああ。

また変な終わり方だ。

ごめんちゃい。

またそのうち、書いてみますー。


そういえば、昨日お会いした明治大学の学生の皆様。

ステキな空気をいただき、ありがとうございました。