アスリートのためのキャリアトランジション勉強会第9回 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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毎月開催しているアスリートのためのキャリアトランジション勉強会第9回 を金曜日に行った。


ゲストはスピードスケートの1992年アルベールビル五輪銅メダリストの宮部行範さん。


とても沢山、素晴らしい話をしてくださったので、ぜひご興味のある方は、おそらく2週間後くらいにはできあがる報告書を上記HPからご覧いただきたい。


勉強会の最後に言われた言葉ですごく印象に残っていること。それは、私がこんな質問を投げた時の答え。


「変な言い方かもしれないですけど、宮部さんは92年でオリンピックの銅メダリストになったのに、結局、2000年まで現役続けられても、その後にはオリンピックに出られなかったわけじゃないですか。他人って、いくら活躍をしても、オリンピック以外の活躍は見てくれなかったりして、なんだ、宮部は結局オリンピックに2回出られなかったんだから、尻つぼみで選手を終えたんだな、みたいなことを言う人がいると思うんですけど、ご自分ではどう捉えてました?」と恐ろしく、直球のアホ丸出しの質問をしてしまった。どうしても聞いてみたかった。


宮部さんは、こんな失礼な質問にも、うなずいて、ふっと遠くを見つめながら、選手としては晩年となった頃の選手生活を話し出した。究極のスケートとは?究極の快とは?究極の選手人生で得るものとは?そんなことを、ちょっと辿々しく、やさしい口調で話された。


私は、88年のソウルオリンピックでメダルを取ったから現役をやめた。自分が選手として限界かどうかではなく、「選手としての引き際」が大切だと思ったからだ。

このチョイスに決して後悔はない。早くに選手をやめたことで、次のキャリアを見つけるのも早かったのかもしれない。相対評価できるものではないけど、そうかもしれない。


でも。宮部さんの話を聞いて、ふと思った。心理学的にいうところの、私はきっと外発的報酬は得たけれど、選手として究極の内発的モチベーションの結果を得たのか、と。


このことは選手のトランジションを成功させるためのキーポイントになるのか、と。


うーむ。

ま、とにかく。

色々考えた。


過去のどんな失敗からも学び、成功には悲観し、今やるべきことに集中しよう。