母が、精神病院に1年3か月くらい入院して、特養に戻ったのが、昨年の秋だった。
退院したときは、本当に何の反応もなく人形のようだった。

特養に迎え入れていただき、生活をし始めて、それからは月に一回は面会に行っている。
ただ、面会が週末だけで、かなり込み合うので、4月下旬に行ったら、5月は予約が取れなかったので、
次回は6月になる。

会話は成り立たないが、だいぶ人らしくなってきたと思う。
母は、きれいなものが好きだった。花やアクセサリーなど。写真も好きだった。
視覚優位の状態なので、私はスマホの写真を見せる。花の写真はとても喜ぶ。
「きれいね。」を繰り返す。今日、載せている写真たちも次回の面接では見てもらいたいと思う。

3月には妹がいけなかったので、息子に付き合ってもらった。「誰?」「お友達?」
自分の孫であることも当然理解できないけれど、そう、私だって娘だとはわかってないし。
でも、「忙しいのにすみません。」「ありがとう。」などいったときは驚いた。

前後の脈絡は全くないが、母らしくなったと思った。

車いすをこいで、動こうとする。動くのが好きな人だった。
 
正直、私は、早く母に楽をさせてあげたい。もう充分生きたからいいよね。と思う気持ちがある。
元気そうに見えても「わからない。」と下を向いて、頭に手をやり苦しそうにすることがある。
認知症になったら、わからなくなって幸せ。という人がいるけれど、私の母はそうでもないことも多い。
 
死ぬことはいけないことなんだろうか。
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

昔の母なら、こんなに光のある写真を撮ったらだめだよ。そういわれてしまうだろうな。
光が強すぎるよ。

 
コントラストが強すぎて、影が強いでしょ。そういわれるだろうな。