TITLE
と言う雑誌が本屋にありました。
写真に写るのは新垣結衣
そして舞台となる駅は尾山台でした。
尾山台は大学の最寄の駅
新垣結衣と尾山台
世田谷の割りに妙にローカルの雰囲気がするこの駅、すごく好きです。
そして新垣結衣の透明感
自分をひきつけてくれた魅力がある
尾山台にもまた親近感が沸いた。
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本題の「垣間見る」ですか。
何の話かと言うと
自殺願望の話
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本気で自殺を考えている人には失礼な話だと思うので
見ないで下さい
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今日自分は生まれて初めて感じてしまった。
朝、追試を受けるため、7時台の電車に乗って学校へ
朝の喫茶店と言うのは好きな自分ですが、今日はそうは行きませんでした。
結局、勉強なんかほとんどせずドトールを後に
学校でノートを開くものの、うわの空
教室の外を1時間ほど見ているだけで軽く過ごせました。
追試終了
帰り、またの話だけど、多摩川沿いを歩いて帰りました。
そして、綺麗でキラキラ光る多摩川に入水したかった。
別に、特別死にたい理由なんて無いのは頭で分かってます。
不安な要素は少しくらいあるけど、そんなのはいつもの話
今日は、ただ「何となく」死にたくなった。
それは、理屈ではないんだね
楽しいことはこの先あるわけだし、つまらない生活でもない
けど、気持ちの浮き沈みで今日はそう思える日がたまたま来たのかもしれない。
死ぬと楽なんだという気分がしてきた。
少し快感にも近かったのかもしれない
ただ、生きようとする本能の強さはいつものままだったみたいだ
自殺願望と生きたい本能はともに共存するらしい
この話を聞いて違和感を覚える人もいるだろう
しかし、自分の中では、共存して当然のように思えた
ただ、今日は、自殺願望が強く出ただけなのだ
ここで、生きる本能が薄れていたり無くなってしまっていたら、今日は完全に死んでた
結局、正気で一日過ごせたわけなので、気分は半殺しのままだ
今は少し楽ですが、というより自殺願望(自分の場合)も「楽」の分類に入る
ここまで書いて、自分にうそをつくのはどうかと思うので話すと
昨日の不安材料と今日の追試の虚無感と、勝手な妄想と、今後自分がどうなるか分からない不安と
「楽」に向かわせる本能みたいな物が、全部混ざって見失った感じが今日のような気分にさせた
のであろう
それが自殺願望となって出たのは、1つの気持ちの表れだ
さて、書いてみて感じたのは、確実に「楽」に向かっていこうとする気持ちであろう
また発散できたのだから、明日はまた違う気持ちでいられるのかな
人に話すくらいだから、生きている証拠。
まだ本当に死ねるわけがないのである
自殺願望と、自殺を実行するのは全然違う話
塾では今日軽くこのことについて他の先生に発散して帰りました。
多摩川に入水したかったけど、浅いから確実に死ねないだろうね
なんて冗談言いながら
帰り、少し哲学的に自殺について考えた
生きていくには、何かどこかに自分の価値をおきたいものである
生きていく中に価値を見出せなかったら「死」に価値を置けばいい
価値と言う言葉を使ったが「美意識」という方がしっくりくる
生き様があるように、死に様だってある
人間自分の存在を他人に認めてもらいたいもの
自分が生活していて、何か美しいものに出会い、自分を投射する
そして自分を「絵」として自分でも眺めていたい
究極であって誰にもあるナルシストがここにある
死ぬときも同じ
生と死の間に自分を置くのだから最後だって同じである
今日自分が死んだ時のことを考えると
全然「美」ではない
他人に認めてもらうような自己満足でもなりきれない
死んだことで何も価値観を感じないのだ
(価値観感じる「死」はあるのかというと自分の主張としては、まだ話せるがここでやめておく)
つまり死ねない
自殺願望について今後深く考えることはよしておこう
毎日過ごしていく中で今日はたまたまの話だ
数学で言えば確率論の話
少ない確率の事だって起きるのである
宝くじに当たる確率は少なくても、必ずあたる人はいる
それと同じ
今日はたまたまそれにあたっただけ
明日は明日の風が吹く
さらば
