サッカー日本代表の決勝トーナメント出場を心よりお慶び申し上げます。
 
私もリアルタイムで応援していました。

何といっても終盤戦の最後の10分間の
日本代表のプレイについて意見が分かれるところが
これまた面白いところですよね。
 
 
A.決勝トーナメントにいき、一つでも上位になることが目的だから問題ない!当たり前だ!
B.そんなの侍じゃない!ありえない!(そりゃ侍ではないんだけども)

という意見をバチバチ戦わせている投稿が
ネット上でも散見されています。

私は、「A」もよくわかります。
 
4年に一度のワールドカップで結果を残すことが最優先で
そのためには手段を選んでらんない。
きれいごとじゃないんだぞ、これは!
あんなことをしている間にセネガルが得点してたら
とんでもないことになったであろうリスクを背負って
西野監督のような判断をすることは並みの精神力ではできないぞ!
 
そうです。そうなんですよ。
 
だから心からこの結果に感謝を申し上げたいです!
予選リーグお疲れ様でした!決勝リーグも頑張ってください!
応援しています!!
 
 
 
ただ、「半分青い」私としては、心情としては「B」なんですよ。

その理由は、そもそもスポーツって何?ということなんです。
私の中でのスポーツの素晴らしさというものは
究極的に考えると「感動」を与えるという点にあると思っています。
※記録より記憶っていう言葉もありましたよね。それです。

勿論、結果が出せなきゃ感動もないじゃないかってことなんですが、
それでもスポーツの目的の最上位にあるべきこと、目指すべきものは
「優勝すること」<「夢を与えること」
だと思うんです。
 
あれはフェアプレイじゃないんじゃないか!というような
意見をしたいのではなく、
勝ちにこだわるあまり、大切な何かを見失ってしまうのではないか
ということなのです。
「スポーツマンシップに則り」という文言は
少年スポーツの選手宣誓では今でも使われています。
スポーツマンシップって何なんだろうか、そんなことを
感じてしまった私がいました。
 
政治家の頃に思ったことがありました。
 
活躍するスポーツ選手は万人から好かれ、うらやましい、と。
政治家はどれだけ好感度が高くても、国民のヒーロー的な
スポーツ選手には及びません。逆に、スポーツ選手が現役時代に
培ってきた好感度(+知名度)を活かし選挙に出ることもあります。
人気の理由の一つが「多くの人に夢と感動を与える」からだと私は考えていました。
混じり気のない清々しい戦いの中で、ガチンコとガチンコの戦いの中で栄冠を
勝ち取るからこその感動を与えるのでしょう。
(実際に八百長とかが発覚するとその夢から覚めてしまい、
 世の中から徹底的に非難されますよね)
なので、スポーツ選手として何を最も大切にするべきなのか
改めて私の中でも考えさせられました。
 
とはいえ、これは批判ではなく、なんかすっきりしないけど
それは私が半分以上青いからであり、それ程までに厳しい環境で
あれで良いんだよ、という意見を否定するものでもありません。
 
決勝トーナメントの大活躍も期待していて、次回も必ず応援します!!
じゃあ、黙ってみてろよ、と言われるかもしれません。
そうです。仰る通りです。単なるヒトリゴトです。
 
色々つぶやきましたが、
スポーツの最前線で活躍される選手・監督の皆様には
これからも子供たちに夢を与え
多くの人たちに感動を与えるプレイをしていただくことを
期待しています!

頑張れニッポン。
 



{1A028192-E720-401F-B57F-64AD32835C76:01}
宮崎家はワールドカップ日本代表を応援します。