皆様、ご無沙汰をしております。

本日は、最近テレビ出演をしていることの意味を
ご説明したいと思います。
※出演させていただいてるという表現が正しいのですが。

特に、私を国政に送り出していただきました
京都3区の皆様には
私の真意を知っていただきたいと思います。

先日、私を最も応援してくださった方から

「きっと、地元で応援してくださった方々は
テレビに出てる真意を知らないでいるはずだよ」

と言われました。

確かに明確にご説明をせずにいたことに気づきました。

私の不徳の致すところで議員辞職をし、
しばらくはひたすら沈黙を守ってきました。
次の衆院選が終わるまでは、それ以上の
迷惑をかけるわけにはいかないと考えていたからです。

辞職してから2年弱もの間、
多くの人にこう励まされました。


「みんなすぐに忘れるよ」と。


でも私の騒動のことは延々とテレビで
映像が使われ続けいつまでも引っ張れ続けて
いました。忘れられることもなく、
私は黙っているのでいつまでも好き勝手に言われ続ける始末でした。

私自身としても外に出るときに妙に怯えてしまい
どこか人目につかないようにして
生活をしていました。

このままではいつまでも私の
イメージは騒動の時のままであり
「史上最悪の男」というレッテルを貼られたままだと思い
このイメージを変えるためには、批判されても笑われても
前に出ていくしかないのではないだろうかと考えるようになりました。

そんな中、昨年の10月22日に衆議院選挙が終わりました。
私の後任の方も当選されたことをもって、
そこで一定の区切りがついたと判断しました。

そして、テレビに出演することを決断しました。

正直なところ、イジられて笑われることは本意ではないです。
明るく振る舞うようにすることも結構大変です。
嫌です。
それでも、勇気を振り絞って
前に出ることにしているのです。

それは私のためでもあり、
私を支えてくださった有権者の皆様の
ためでもあると信じています。

一所懸命に応援した「宮崎謙介」は
日本中から非難された、ただ遊んでいた
どうしようもない国会議員で性格も最悪で、
どうしようもないやつだと思われたままでは、
本当に申し訳ないと心から思っています。


あれから半年以上が過ぎました。

世の中のイメージは
まだ完全に変わってはいないと思います。

私の禊の期間は続いていると思っています。

ですが、道ですれ違った方から

「頑張れよ!」

と声をかけてくださる方が増えました。

少しずつですが私なりに
変化を感じるときもあります。


皆様からのご恩は一日たりとも
忘れたことはありません。
応援してくださった方の想いと、
ご恩に報いるために
私は何が何でも前に進みいつの日か

「宮崎謙介を応援して本当によかった」

と言っていただけるように努力し続けます。

再び信頼を回復するためには、
これから先の私の行動次第であり、
これから何をするかでしか
取り戻すことはできません。


私には新たな目標ができました。
来年あたりにはこの意味が
お分かりになるかもしれません。

その時の結果をお示しできるよう、
全力で臨んでいきます。

今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

宮崎 謙介