西暦が定めたお正月(?)の三日目の午後を、憲法改正草案を「へめぐって」みました。
ミュージックラヴァーの皆さんも、この問題は関心を高めておいたほうが良いです。
避けては通れぬ道ならば、勉強しちまったほうが気分が良いからね。

未だに「右」だの「左」だので政治スタンスを語ってしまっているネット世界の化石たちは、放っておくに限ります。惑わされずに、自分のスタンスで政治を語る言葉をみつけていきましょう。


【自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版】

自民党の憲法改正草案というのが、今年の参院選を経て具現化の道をたどっている。

65年を経過した現行の日本国憲法が、戦後占領期GHQによって書かれたものをほとんど訳しただけ、という成立過程が問題視されるのは、当然だろうと思う。

ただし、そこに書かれている内容が優れていて、世界的に観ても先見性のある「平和憲法」であることも確かである。また、軍国主義と戦争に憂いた国民の多くが、この憲法を支持してきた65年があったことも重要である。

憲法は、カナダなどのように時々の社会状況にあわせて慎重に改憲されながら運営されるのが、理想なのではないだろうか。もちろん、憲法であるから、その国家運営の理念と骨子は、何十年と簡単に変わらないものであるべき事は大前提だ。

ところで、今の日本国憲法を変えなければならない明確な理由が、国民の側から求められたのだろうか?いや、自民党が勝手に言い出した事である。多くの国民は「できれば平和憲法は護りたい」と、漠然ながらも思っている人が多いはずである。法律に詳しい人には「世界にも希有な平和憲法」の奇跡性を認めて「戦争のない世界へのリーダーシップ」となり得る日本国憲法を、世界遺産にすべきだとの意見もある。


憲法9条「戦争の放棄」。これは当然のことであり、遵守しながら実現する世界を模索しなければならない。したがって憲法違反の膨大な現有戦力「自衛隊」の見直しも、計らなければならない。安倍晋三総理は「現有戦力がこれだけあるのに、武力の放棄を憲法で謳(うた)っているのは嘘である。この矛盾を解決するために、憲法は現実に従って改訂されるべきだ」と云っている。もう既に軍隊とみなされるものがあるのだから、憲法のほうを変えようと云っている。

逆だ。

憲法が定めた「理念」に背いて武力を保有してきた「現実」のほうを、顧みなければならない。でなければ、憲法という「理念」が権力を抑止するために存在する意味がなくなってしまう。「既に軍隊とみなされる」自衛隊を保有している現実のほうを変化させなければならない。

地球の2万6000年周期の節目にある今、太陽黒点の活動が活発化したり、常に動き続けている地球の極点の変動が激しくなったりする事によって天変地異のエネルギーが増幅している。惑星にとっては微々たる地層活動が、人間にとっては大災害となり得る。世界は毎年、100兆円を超える予算を軍事に費やしているが、そんな事をしている暇などあるのだろうか?地震予知研究、地層の研究、太陽活動の情報提供システム、宇宙放射線の研究、災害対策、災害派遣。我々は、自衛隊に費やしている5兆円以上の予算を、これらの事に振り分けるべきだと主張する時期にきている。

増して、福島第1原発の収束しない現実と、作業員の数、技術レベルの確保に苦悩する現場を我々は抱えている。

武力を放棄した憲法9条を掲げる日本は、その憲法に違反して武力化してきた自衛隊を解体し、世界最大のレスキュー部隊へと再編成するという事もできる。災害の多発が予想されるこれからの地球で、世界中の災害現場で「地震多発国」であり3度の「被ばく」を経験している日本の経験は求められるはずだ。国内も国外も扶けまくる大部隊を保有している永世中立国。これは、外交においてもとても強いファクターとなり得る(むろん、外交駆け引きなど必要のない、もっと親和的な世界へと踏み出したいのだが)。人を「殺める」のではなく「助ける」ために訓練をし、技術研究を究める事に予算を投下する。「壊す」のではなく「生み出す」方向へ力を働かせる時代に入ったのだ。

戦争がもたらす物理的、精神的、思想的な荒廃に心の底から疼(うず)いた終戦直後の国民の多くが支持した思いを、現代の我々は簡単に忘れてはならない。

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」


我々は65年間にわたって国際的に、戦争は「永久に」放棄すると、言い続けてきた国に住んでいる。「永久に」と、云ってしまったのだ。これからも守るのが、日本人だろう。(私はナショナリストではなく、ローカリストだが。)


自民党の草案で問題とされているのは、
「国民が国家に奉仕するのではなく、国民の尊厳を守るために、便宜的に国家を立てる。その国家の暴走を抑止するのが憲法」
という近代立憲主義に則った憲法の立ち位置が、「国民→権力」の側に逆転しているという指摘である。

このことは、「われわれは天賦人権論にはのっとらない」とした改正草案委員の一人である片山さつき(自民党)議員の発言にも如実に現れている。彼らは別に隠していない。世界的メガ銀行とその連合>超大企業とその連合>政治家、という図式の中で「平和」を売り渡そうとしている意図が、見え見えなのである。

自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm


【ニコニコ動画】『安倍晋三 総理が訴える憲法9条改正論』
*自民党が好きな人も、嫌いな人も、これは見ておくと良いかも。





【「自民党憲法改正草案では、国家と国民の関係が逆転しています。これは、立憲主義に対する挑戦だと言わざるを得ません」 澤藤弁護士】

この状況に対し澤藤統一郎弁護士は「かつてない憲法の危機だ」と警戒感をあらわにする。「日本国憲法は、戦前の苦い経験に対する反省のうえで、民衆の立場に立って作られている。他方、権力者や富を持つ者にとってはやや不都合だ。不都合だという勢力が、憲法を変えようとしている。そのことは、反省を忘れることである」。

 日本国憲法の基盤をなすのが、近代立憲主義という考え方だ。国民が国家に奉仕するのではなく、国民の尊厳を守るために、便宜的に国家を立てる。その国家の暴走を抑止するのが憲法、という考え方だ。日本国憲法第99条にはこうある。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」。権力を持つパブリックな存在に、憲法が枠をはめる、という構図だ。それが、自民党の憲法案ではこのように書き換えられている。「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」。「自民党憲法改正草案では、国家と国民の関係が逆転しています。これは、立憲主義に対する挑戦だと言わざるを得ません」と指摘する。(IWJ)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/44511


【付け足し】

こんな事を云うとアレルギーな人が現代社会には多いのだろうし、僕自身もこの言葉で的確なのか問い続ける部分でもあるのだが、僕は「憲法第1条(或いは0条):愛」が欲しいと思っている。愛のない法律など、何千か条作っても正しく運用されない。でわ、その愛と呼ばれるものは何であるか?その不定形な要素を大切に護り、考え、話し合い続けることが社会にまず課せられた役割じゃないだろうか。