画家 三宅 設生の画業告白ブログ

画家 三宅 設生の画業告白ブログ

作家本人の油絵作品の受賞歴・個展・展覧会出品・メディア掲載記録などと作者コメント・エッセイ・提言を雑踏に流れる「クラクション」のように乱筆乱文で告白して行きます。これをもって画業の軌跡の一片となればと思います。

リビドーとは身体表面でなく、行動パターンや記憶の奥底に姿形を

変えて潜み、不変かつ必然的な性的本性であり、深層心理の見え

ない生命の働きの概念である。

まさしく色心不二の生命哲学の一片をかい間見る思いです。
 
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本能的欲望…リビドー(性欲)を描き出して来たのだが、あるニュース記事に思考を囚われてしまった。

それは、障害者の性問題である。

障害者の性被害、そして性加害…

囚われたのは後者の性である。

赤裸々というかむき出しの本能というか

自身によるコントロール下にない

本来の…敢えて言えば純粋な要求行動に

リビドーを感じざる得ないのです。

社会的観点によるその犯罪行為を肯定するわけではない。しっかり向き合わなければならないことは最もであるのだが

今回はその観点でなく人間の根源としての観点から考えて見たいのです。

その性的欲求は根源的であり人間の本能的欲求であり、それをある一方的立場から管理または罰する事が許されるのだろうか?

死刑問題と同じ基軸でもあるように想う。

命を奪うことが死刑で有れば

生きることの行動を奪うことは死刑以上に

残酷なことではないだろうか?

命とは生きることであり、生としての使命を全うするものであるはずである。

その使命を他人が概念的または社会的に

決めつけてはならないと思うのです。

本人の意識があろうが判断できないであろうがです。自身の内にある根源的欲求を誰も意識していない。意識したり、選択や判断すること自体が根源でなく理性という作られた意識に束縛状態の囚人とも思う。しかし、むき出しの本能が他人を傷つけることもあるだろう。本能と本能のぶつかり合いを避ける知恵が人類の進化かもしれない。人間の罪に対するさらなる人類進化の戦いは永遠続く贖罪の進化だろうか…

某テレビ番組を見て感じた事を記す。

動物の繁殖期のオスメスの生殖美
人類も最初はこれに近く
化粧やアクセサリーが発展。
これがアートの始まりと考えれる。

言葉を話す事で物事の認識力が高まり
目とか鼻とかを認識することで
描けるようになる。
動物は丸とか線は描けても
共通認識としてのレベルは無理である。

壁画など…描く事によって
記録し、伝え、未来予測が
できるようになる。
認識の共有をすること。

言葉は人間を管理する側面が有るが
それへの反逆がアート。反発作業
言葉を使わない情報伝達を求めるように。

崇拝するモノを生み出していく。
神の存在をも生み出す。

貨幣をも生み出した。

人はなぜアートを求めるのか?

人それぞれ好みや価値観は違う。
しかし、脳科学では
美に対して眼窩前頭皮質が反応する。
ドーパミンを利用して快楽で美を感じる。
本能的古い機能の線条体は
美人など異性を見ると反応するが
アートには反応しない。

善悪の判断にも
同じ部位で同じ働きをする。
人の命を救った時も…
その善を感じた時と美に対する反応が同じ。
つまりアートは快楽!
アートはまやかしであり嘘事なのである。

では醜い時は?
その時は本能的な古い部位の運動野が働く。
本能的防衛本能をするのである。
危険から逃避する。
では
美しい?醜い?が併せ持つ現代アートって?
相反する感覚が一緒でもアートを感じる。
それは何故か?
複雑に総合的に芸術に対して反応するように
人類が発達してきているのではないか?

AIは芸術か? →現在は未確定
平均を作るので突出性が無い。

そこで必要なのが審美眼。
視覚、聴覚などの感覚で
環境判断をし生存本能を働かせ
人類は進化の方向を模索し進化してきた。
その行為から審美眼が
生まれたくるのである。

人の感性をAIに審美眼を入力すると?
抽象度が高い芸術風な作品は作れる。
また芸術性も感じる事ができる。
出力という作業ではあるが。
でもAIのデータ整理方法は
人間がルールとして
入力しないと作れない。
そのルールが審美眼なのである。

美の拡張が人類進化につながっている。
常に新しい見え方を変化させて行く人類。
AIは今ある美しいは作れるが
新しい美は作れない。

アートの力とは?
美しさの競争→芸術昇華→戦争や争いが無くなる。(人類の知恵)
スポーツにもつながる考え。
平和だからアートが発展か?
争いを沈めるためにアートが発展か?
鶏か卵か…
常に争いとは反対側にあるのがアート
また、効率とか機能性の反対がアート
アートは排除しない。
自由を求め、反骨精神がアート。

アートは目に見えるモノだけでない。
文脈によって芸術価値が代わる。
事件や物語で人の関心を得ると
芸術的価値が上がる。
また、絵画鑑賞の事前に情報を与えると
その文脈に沿って鑑賞方向が変わる。
目に見えない文脈をも利用するのが
アートの力でもある。
なのでタイトルも重要となる。
機能的状況説明的タイトルより
情緒的タイトルの方が関心を得るのである。
また歴史の中に位置付けられた作品は
その価値が大きく上がる。

そして
デジタルアートは今後どう発展する?
顔も合わさない、合った事もない。
世界中の肌や言語が違う人と
つながるインターネット時代では
情報共有が大きく発展した。
その新たな関わりやつながりによって
新たな美意識の共通認識が生まれる。
それは新たな芸術活動であり、
今のデジタルアートとは
人類進化の歴史的瞬間を
垣間見ているのかもしれない。

さらにAIが生み出す芸術について!

AIはシュールレアリスムである。
無意識の表現…それが
画家、シュールレアリスト。

人間の脳の記憶などのデータの表現
それがAIの作業。

共にシュールレアリスムである。

新しい美意識の生み出す行動・努力が
審美眼を育て進化させる。
だがコンピュータは失敗をしない。
失敗をしないから存在価値がある。

シュールレアリスト画家は
新しい美意識を無意識の中に求めて
失敗を重ね描き続けるのである。
その行為によってのみ審美眼を
身につける事ができると自覚すべきである。
それが画家が存在し続ける
価値観となるのであるのだから。

これからの時代にシュールレアリストが
必ず重要視されるだろう。
AIとは違う存在であり
AI芸術を審判できる唯一無二の立場だから。

そのために
失敗を繰り返し、恥をかき
変わり者扱いされる。
それは画家の特権であり…
人間の特権なのだから!
前に進み続けよシュールレアリストたち!
ダーウィン曰く
強者が生き残るのではない。
また、賢者が生き残るのでもない。
変化できる者が生き残れるのである。

過去の時代と未来を比較し
古き良き事柄を思い出す事に固執し
新たな時代を批判して
現状に留まり続けるのは
絶滅への第一歩と肝に銘じようと強く思う。

個人的に「ものづくり日本」という言葉が
わたしは大嫌いである。
製品つくりではなく
新しいイノベーションを創造が得意な
日本になってほしい…
「職人技」もしかりである。
職という字が労働の鎖につながった
奴隷的な感覚を与えるのが嫌なのだ。
海外である外国人の左官職人と出会った。
彼は自己紹介で自分のことを
コンクリートアーティストと言った。
労働ではなく芸術活動の自発意識なのだ。

この意識改革という変化が
日本人としての進化の第一歩かもしれない。


誰にも負けない技術とは技術に非ず、
独創的芸術なのである!