本能的欲望…リビドー(性欲)を描き出して来たのだが、あるニュース記事に思考を囚われてしまった。
それは、障害者の性問題である。
障害者の性被害、そして性加害…
囚われたのは後者の性である。
赤裸々というかむき出しの本能というか
自身によるコントロール下にない
本来の…敢えて言えば純粋な要求行動に
リビドーを感じざる得ないのです。
社会的観点によるその犯罪行為を肯定するわけではない。しっかり向き合わなければならないことは最もであるのだが
今回はその観点でなく人間の根源としての観点から考えて見たいのです。
その性的欲求は根源的であり人間の本能的欲求であり、それをある一方的立場から管理または罰する事が許されるのだろうか?
死刑問題と同じ基軸でもあるように想う。
命を奪うことが死刑で有れば
生きることの行動を奪うことは死刑以上に
残酷なことではないだろうか?
命とは生きることであり、生としての使命を全うするものであるはずである。
その使命を他人が概念的または社会的に
決めつけてはならないと思うのです。
本人の意識があろうが判断できないであろうがです。自身の内にある根源的欲求を誰も意識していない。意識したり、選択や判断すること自体が根源でなく理性という作られた意識に束縛状態の囚人とも思う。しかし、むき出しの本能が他人を傷つけることもあるだろう。本能と本能のぶつかり合いを避ける知恵が人類の進化かもしれない。人間の罪に対するさらなる人類進化の戦いは永遠続く贖罪の進化だろうか…
