才能とは『好き』が振り切れるかどうか
自分は何故釣りが上手いのか?
ふと、考えてみたら答えは簡単。
めちゃくちゃ釣りをしたから。
今でもはっきり覚えている。
人生初の釣りは5歳の頃に家族で行った町工場の黒い排水が流れ込む川での鮒釣り。
その時、幼い自分にはちゃんとした道具は与えられ無かったので、川に向かってウキを浮かべる事が出来ず、兄と姉がぽつぽつ鮒を釣るのを羨ましく眺めていた。
自分は脇の工場排水で出来た水深50cmにも満たない黒い水に満たされた小さな入り江にウキを絶望的に浮かべ続けたので、その日は何も釣る事が出来ず終わるかに思われたが、最終的にはなんと!25cm程と15cm程のナマズが釣れてしまったのだった。
この奇跡のようなナマズとの出会いと鮒を釣る事が出来なかった屈辱の釣りの直後から、毎日「釣りに連れて行って!」と家中でわめきまくった。
可愛い孫の懇願を聞いてやりたかった祖父母は釣りが苦手でなす術が無く困り果て、全然釣りなんて出来ないのに漁師の娘だからか、うるさ過ぎたのか、遂に母が先のちゃんとしてない道具を持って近所の池に連れて行ってくれたが、やはり勝手が分からずスジエビが餌に寄って来るのを眺めて終わり、母に無理を言った事が本当に嫌になった…
その後、父に兄弟3人それぞれに釣り竿が与えられ時々家族で釣りに行くようになり、その翌年には何者かの手によってブラックバスが近所の池に放たれ、兄が仕入れて来た知識とルアーで家にあった海用の竿とリールでルアー釣りをするようになり、小学生になった事もあり1人での行動が許されたので、ひたすら近所の池に通い詰めた。
その後、鯉釣りにはまったりもしたが、とにかく釣れようが釣れまいが釣りに行きまくった。
雑誌を読んだりもしていなかったし、他の釣り人に出会う事も無かったから新たな知識を得る事もなかったので全然上手くならなかったけど、中学校に上がる直前に 釣りトップ という月刊誌に出会い、最初に手にした号をインフルエンザの病床で1週間読み続け、付録の釣果手帳を活用するようになってからは野球部に入って釣りに行ける日数が減ったはずなのに急激に上達した。
雑誌からの知識により急激な上達をしたけど、結局は釣り場での体験とデータが釣果を倍増させてくれた。
中1の時は近所で年間35匹程度しか釣れなかったのが、中2の時には80匹と倍増。
中3の時には琵琶湖や近所以外にも頻繁に行くようになり、データが増え過ぎて集計を取らなくなった。
そして、高1になってからは大会を回り始め、多くの出会いにより更なる知識を手にして、いきなりプロレベルになった。
高2の時にはサポートも受けるようになり、成績はそこそこ残した高3のシーズン終了時には大会への意欲は無くなっていた。
その後プロに上がったが、熱意なく惰性で通じるほど甘い訳も無く、成績も出ずプロを3年ほど中途半端にやって引退…
色々な思いがあったが、8年ほど前から釣りを本格的に再開し今に至るが、この再開してからの8年程で得た知識や技術もあるが、基本的な技術はやはり高校生までで出来ていたと思う。
高校生までは本当に暇さえあれば釣りに行き、釣りに行けない夜等は雑誌やビデオから知識を得ていた。
自分の時間は全て釣りだった。おかげで他には何も無かった。
でも、それだから普通では知れない事や出来ない技術も手にできた。
これこそが才能だと思う。
自分を全部それに没入させてしまえるかどうか。
本当に好きになったらこんなもんだ。
世の中には、没入したことも無いのに、環境のせいにして自分自身に言い訳をしながら偉そうにしてる奴が多過ぎる。
好き過ぎて振り切れる程の想いは変人扱いされる事は多いが、それは有無をも言わせず美しく誇るべき物だ。