本日は多良木町久米にあります『久米熊野座神社』の例大祭に参列させていただきました。


県議の秘書時代に数回参拝させていただきましたが、市議会議員になってからも椎葉宮司のご厚意でご案内をいただき、大変嬉しく思っておりますニコニコ

※今日も数人から「今日は代理?」と聞かれましたが…笑


滞りなく神事が執り行われましたが、私が気になったのは拝殿に掲げてある『天地悠久』の文字。



天地悠久の意味は、天地とともにきわまりのないこと。永遠に続くこと。

となりますが、中国の思想家「老子」は天地悠久について以下のように教えています。


天は長く地は久し。

天地の能く(よく)長く且つ久しき所以(ゆえん)の者は、

其の自ら生ぜざるを以てなり。故に能く長生(ちょうせい)す。

是を以て聖人は、其の身を後にして而も身は先んず。

其の身を外にして而も身は存す。其の私、無きを以てに非ずや、

故に能く其の私を成す。 


【意味】


天は長大であり、地は悠久である。

なぜ天地はそのように長久不滅であり得るのか。

それは無理に生きようとしないで無欲であるからだ。

故に永遠不滅なのである。

そして道に沿った聖人も同じように生きる。

無私の心で他人を優先し、自分はいつも後回しにする。

己の存在を否定して人の存在を重んじるがゆえに

いつのまにか、自分が重んじられる人になっているものだ。


2018年の大河ドラマの主人公である「西郷隆盛」

『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。』

と語っています。


簡単に言うと、無私、無欲に徹せよ!


ということですが、頭でわかっていても、なかなか実行するとなると難しい…。

しかし、政治家としてとても大切なことですので、常に意識しなくてはいけませんね!


素晴らしいお祭りで、素晴らしい気づき。

ありがとうございました。