宮城UPは、私にとっての「ひとつの夢」の実現でした。そのことは折に触れて、ここでも述べてきました。
さて、宮城UPのコアメンバーには、それぞれ強みがあります。例えば宮城UPの代表(NPO法人ビートスイッチ代表理事でもありますが)は、元仙台市太白区の障害者支援担当の係長で、福祉行政のプロ中のプロですし、事務局長は書類作成のプロ、技術主任さんはパソコンやネットワークのプロ、就労支援のチーフはその道ウン十年のプロ、そして運営コーディネータは、なんと、福祉用具を専門とする研究者です!! すごい、専門家ばかりだ。
それに対して、一応プログラムディレクタを勤めさせていただいている私ですけど(最近は特に影が薄いですが)、ではどの辺に強みがあるかといわれると、なんだか自信がなくなってきます。あんたの専門は何?と激しく突っ込まれると、「困ったなあ・・・」。なんだろう。福祉系も情報系も中途半端で、「君、いらないじゃん」っていわれそうです。
正直、心当たりがありません。なんでやっていけてるのでしょう?自分でも不思議だ。
でも、僭越ながら言わせていだけば、宮城UPの基本的な構想は、私が仙台で体験したり、学んだりしたことから、生まれています。少しだけそういう話ができればと、思っています。
宮城UPの基本コンセプトは、「福祉領域に情報社会っぽい考え方を持ち込む」です。「人のやさしさ」的感覚で、情報技術の支援にあまり乗り気じゃなかった福祉現場に、情報社会っぽい旋風をふきこみたい。かっこよくいうと、そんな感じです。
ところで、「情報社会=Information Society」って、世界でも認められた学問領域になっているのですが、もともと日本人が考え出した言葉であるって、ご存じでしたか?
世界ではじめて(英語を含め)Information Societyという言葉を使ったのは、増田米二。労働省の役人を退職し、情報技術と勤労の問題に着目した研究者です。
世界ではじめてInformation Societyという用語を用いた本は、『原典情報社会-機械開発者の時代へ』という題名で翻訳されています。そう、「日本語に翻訳」なのです。原著は”The Information Society as Post-Industrial Society”。彼は最初から英語で書いていたのですね。
その本を読み直すと、その先見性に結構驚きます。コンピュータが普及することで在宅就労やSOHOが発展するというのに近い話もありますし、「多様な自主的コミュニティ」=ブログや掲示板に近い話も。「機会開発者」なんで、今で言うオタクそのものです。
もちろん彼の議論には難点も多く、その視角に問題がないわけではないのですが、世界に与えたインパクトは結構なもので、今でも英米のInformation Societyのテキスト冒頭に出てくるぐらいです。日本ではほぼ忘れ去られ、ないしは過小評価されてますけど。
さらに知られていないのは、増田が同書で「福祉社会」に触れていたという話です。長いから抜粋しながらの引用でご容赦ください。
「最近日本では、高福祉社会ということがよくいわれ、そして、経済成長第一主義から人間尊重、社会福祉重視の安定成長への転換が叫ばれるようになった。(略)しかしこの高福祉社会の概念の中身は、どちらかというと、緑とか太陽とか、人間らしさの追求が主たるものになっている。これは、公害とか過密とか失業や生活不安からの脱出という意味では、それなりの時代的意義があるが、こうした福祉社会の概念には、積極的、能動的なビジョンが欠けている。ここに私は、高福祉社会論の最大の問題があるように思う。」
そして彼は、不安がなくなる以上のもの=自己実現欲求を提言します。
長くなりました。でも、福祉に欠けている論点を提示する情報社会論というのは、すでに増田がいうところであったのですね。
増田の原著の公刊は、1980年。ほぼ同じ時期に、福祉社会論も変化を遂げることになりますが、それはまたいずれ。
さて、宮城UPのコアメンバーには、それぞれ強みがあります。例えば宮城UPの代表(NPO法人ビートスイッチ代表理事でもありますが)は、元仙台市太白区の障害者支援担当の係長で、福祉行政のプロ中のプロですし、事務局長は書類作成のプロ、技術主任さんはパソコンやネットワークのプロ、就労支援のチーフはその道ウン十年のプロ、そして運営コーディネータは、なんと、福祉用具を専門とする研究者です!! すごい、専門家ばかりだ。
それに対して、一応プログラムディレクタを勤めさせていただいている私ですけど(最近は特に影が薄いですが)、ではどの辺に強みがあるかといわれると、なんだか自信がなくなってきます。あんたの専門は何?と激しく突っ込まれると、「困ったなあ・・・」。なんだろう。福祉系も情報系も中途半端で、「君、いらないじゃん」っていわれそうです。正直、心当たりがありません。なんでやっていけてるのでしょう?自分でも不思議だ。
でも、僭越ながら言わせていだけば、宮城UPの基本的な構想は、私が仙台で体験したり、学んだりしたことから、生まれています。少しだけそういう話ができればと、思っています。宮城UPの基本コンセプトは、「福祉領域に情報社会っぽい考え方を持ち込む」です。「人のやさしさ」的感覚で、情報技術の支援にあまり乗り気じゃなかった福祉現場に、情報社会っぽい旋風をふきこみたい。かっこよくいうと、そんな感じです。
ところで、「情報社会=Information Society」って、世界でも認められた学問領域になっているのですが、もともと日本人が考え出した言葉であるって、ご存じでしたか?世界ではじめて(英語を含め)Information Societyという言葉を使ったのは、増田米二。労働省の役人を退職し、情報技術と勤労の問題に着目した研究者です。
世界ではじめてInformation Societyという用語を用いた本は、『原典情報社会-機械開発者の時代へ』という題名で翻訳されています。そう、「日本語に翻訳」なのです。原著は”The Information Society as Post-Industrial Society”。彼は最初から英語で書いていたのですね。
その本を読み直すと、その先見性に結構驚きます。コンピュータが普及することで在宅就労やSOHOが発展するというのに近い話もありますし、「多様な自主的コミュニティ」=ブログや掲示板に近い話も。「機会開発者」なんで、今で言うオタクそのものです。
もちろん彼の議論には難点も多く、その視角に問題がないわけではないのですが、世界に与えたインパクトは結構なもので、今でも英米のInformation Societyのテキスト冒頭に出てくるぐらいです。日本ではほぼ忘れ去られ、ないしは過小評価されてますけど。さらに知られていないのは、増田が同書で「福祉社会」に触れていたという話です。長いから抜粋しながらの引用でご容赦ください。
「最近日本では、高福祉社会ということがよくいわれ、そして、経済成長第一主義から人間尊重、社会福祉重視の安定成長への転換が叫ばれるようになった。(略)しかしこの高福祉社会の概念の中身は、どちらかというと、緑とか太陽とか、人間らしさの追求が主たるものになっている。これは、公害とか過密とか失業や生活不安からの脱出という意味では、それなりの時代的意義があるが、こうした福祉社会の概念には、積極的、能動的なビジョンが欠けている。ここに私は、高福祉社会論の最大の問題があるように思う。」
そして彼は、不安がなくなる以上のもの=自己実現欲求を提言します。長くなりました。でも、福祉に欠けている論点を提示する情報社会論というのは、すでに増田がいうところであったのですね。
増田の原著の公刊は、1980年。ほぼ同じ時期に、福祉社会論も変化を遂げることになりますが、それはまたいずれ。
