久しぶりの本題であります。もう皆さん忘れていますが、このblogの目的は、宮城UPやそれに続く新プログラムの社会的な意義、背景、そしてめざすモノをみなさんにお届けし、共有するのが目的でした。
で、この本はお読みになりましたでしょうか?
「愛」なき国 介護の人材が逃げていく/NHKスペシャル取材班
¥1,575Amazon.co.jp
NHKスペシャルでずいぶん話題になりましたので、ご存じの方も多かろうと思います。介護保険の現状を広く問いかけるきっかけになった本です。
ご承知のとおり、介護保険はさまざまな問題を抱えており、危機的状況にあるというのは、事実です。
同時に、その介護保険しか、私たちがやっていく道がないのも、事実でしょう。
介護保険の問題点については、このブログでも何度も書いてきましたけど、一つだけ、そもそも間違っている点があります。実はそれは、『「愛」なき国』の章のタイトルにもなっています。にもかかわらず、自明的に取り上げられていないのです。
「規格どおりの介護が よい介護とは限らない」
まさにそのままの意味です。むしろ「よい介護のわけがない」ぐらいの方がよかったんじゃないかな、とまで思います。
この本は、そこまで到達していながら、「規格」という話にまったく言及できていないんですよね。タイトルでしか使っていなくて、本文中では一度も出てこない。それがジャーナリズムの限界、というものなのでしょうか。
「規格」とは何で、なぜ介護に導入されるのか、こそが問題なのです。
しかもそのヒントは、本書のインタビューの中にも、随所に現われています。一番よい部分を引用して紹介いたします。「有限会社笑う介護士」の袖山卓也さんの一言です。
「僕に介護保険制度を作らせてほしいんです。要介護度をとっぱらって、ケアプランベースで作っていきたい。同じ人でもコンディションによって、そのとき必要な介護は違ってきます。」
「今週は通所5日ね、来週は1日でいいでしょう。落ち着いているし。今週はショートステイだよね、疲れてきているから、と。こういうのがプランです。本当は。」
「要介護度で人間を分けるのではなく、その人の生活嗜好とか人生を考えてプランニングして、その金額は支払われなければならない。」
誤植は修正しました。そして、まさに、おっしゃるとおりです。
実は私は宮城UPでは、企画つまりプランニングを担当しています。その立場でいえば、サービスメニューをとっかえひっかえして「規格をあてはめる」のをプランニングとは言いません。だって決まっているのを当てはめてるだけですから。介護保険では。
介護保険でケアプランがやっているのは、その人の生活を設計するプランニングではなく、その人の生活を制度とサービスに当てはめるほうです。私らがプランニングする場合は、「実行のために資源をコントロール」します。ケアプランは逆。「実行=生活を、資源=メニューにあわせて変更させる」機能として、発動しています。
だから現在のケアプランは、プランニングではありません。マネージメントであり、アプリケーションです。本当に必要なのは、プランニングです。でも、それはなされないのです。
なんでそうなのか? そのあたりに介護保険の本質が見えてきているように思います。いずれ、取り上げようとおもいます。
で、この本はお読みになりましたでしょうか?
「愛」なき国 介護の人材が逃げていく/NHKスペシャル取材班
¥1,575Amazon.co.jpNHKスペシャルでずいぶん話題になりましたので、ご存じの方も多かろうと思います。介護保険の現状を広く問いかけるきっかけになった本です。
ご承知のとおり、介護保険はさまざまな問題を抱えており、危機的状況にあるというのは、事実です。
同時に、その介護保険しか、私たちがやっていく道がないのも、事実でしょう。
介護保険の問題点については、このブログでも何度も書いてきましたけど、一つだけ、そもそも間違っている点があります。実はそれは、『「愛」なき国』の章のタイトルにもなっています。にもかかわらず、自明的に取り上げられていないのです。
「規格どおりの介護が よい介護とは限らない」
まさにそのままの意味です。むしろ「よい介護のわけがない」ぐらいの方がよかったんじゃないかな、とまで思います。
この本は、そこまで到達していながら、「規格」という話にまったく言及できていないんですよね。タイトルでしか使っていなくて、本文中では一度も出てこない。それがジャーナリズムの限界、というものなのでしょうか。
「規格」とは何で、なぜ介護に導入されるのか、こそが問題なのです。
しかもそのヒントは、本書のインタビューの中にも、随所に現われています。一番よい部分を引用して紹介いたします。「有限会社笑う介護士」の袖山卓也さんの一言です。
「僕に介護保険制度を作らせてほしいんです。要介護度をとっぱらって、ケアプランベースで作っていきたい。同じ人でもコンディションによって、そのとき必要な介護は違ってきます。」
「今週は通所5日ね、来週は1日でいいでしょう。落ち着いているし。今週はショートステイだよね、疲れてきているから、と。こういうのがプランです。本当は。」
「要介護度で人間を分けるのではなく、その人の生活嗜好とか人生を考えてプランニングして、その金額は支払われなければならない。」
誤植は修正しました。そして、まさに、おっしゃるとおりです。
実は私は宮城UPでは、企画つまりプランニングを担当しています。その立場でいえば、サービスメニューをとっかえひっかえして「規格をあてはめる」のをプランニングとは言いません。だって決まっているのを当てはめてるだけですから。介護保険では。
介護保険でケアプランがやっているのは、その人の生活を設計するプランニングではなく、その人の生活を制度とサービスに当てはめるほうです。私らがプランニングする場合は、「実行のために資源をコントロール」します。ケアプランは逆。「実行=生活を、資源=メニューにあわせて変更させる」機能として、発動しています。
だから現在のケアプランは、プランニングではありません。マネージメントであり、アプリケーションです。本当に必要なのは、プランニングです。でも、それはなされないのです。
なんでそうなのか? そのあたりに介護保険の本質が見えてきているように思います。いずれ、取り上げようとおもいます。