仙台で恒例の名物イベント「とっておきの音楽祭
」がありました。ゆにふりみやぎ
さんが、詳しいレポートをしてくれています。知り合いがいっぱい出てるので、晴れてよかったです。「障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しみ、音楽のチカラで心のバリアフリーを目指す音楽祭」。なんか、今日の記事のテーマにも、とっても結びついていそうです。リンク貼らせてもらおう(^_^)。
で、本題に戻ります
。
介護保険・自立支援法といった福祉の話に立ち入りすぎて、やや話を大きくしすぎたかもしれません。そろそろ本題のITの話に戻りたいと思います。
ただ、地域生活でITを使うさいの問題、その真の姿については、できるかぎり指摘できるようにしたつもりです。「パソコンがないから使えない」わりには、多量のパソコンが家庭や施設に死蔵されています。「パソコンが学べないから使えない」わりには、多くの障害者向けパソコン講習が税金を投じて開催されてきました。
地域でパソコンを使うために、欠けているのは、実はこのような「モノ=物的資源」でも、「ヒト=人的資源」ではないのではないか。いや、両方とも足りないと言えば足りないのですが、もっと深刻に欠けているものがあるのではないか。
もしも、支援する側が見落としている資源の欠損があるとしたら、いかに行政が「モノ」や「ヒト」そして「お金」を投入しつづけても、何も解決しません。障害者が、そして私たちがパソコンを使うための基盤は、つくりあげられないのです。

で、介護保険を題材に生活でのIT利用を省みながら、「欠けているもの」を浮かび上がらせてきました。それは、利用者の努力と介護者の理解が織りなす「ITを使うための環境」でした。そしてその環境は、福祉現場でのある種の〈余裕〉が生み出すものでもありました。
でも、この話はそんなに難しくいう必要はないんですよね。要は、利用者と支援者との「関係性」です。その関係性が、お互い配慮できるような余裕をもって結べていれば、たぶんパソコンも快適に使えている状態になっているだろう、との程度のことです。でも、それが難しいのですが。
ちょっとややこしい話をすると、この関係性のことを「社会関係資本」(ソーシャル・キャピタル) といってよいとおもいます。つまり、「物的」でも「人的」でもなく、「社会関係」が大事、みたいな感じです。
分析を続けてくると、モノでもヒトでもなく、「私たちの人間関係」が無くなってきている、ないしは薄くなってきているから、相互関係のチャンスが限られているから、人間関係を深める〈余裕〉が無くなってきているから、ITも使えないのだ。ということになるわけです。(すごく雑ぱくにまとめてしまいましたが。)
じゃあ宮城UPは、それとは逆のことをすればよい。社会関係をつくりあげるような「パソコンの使い方」をすれば、きっとみんな、パソコンが使えるようになる。

それが、宮城UPの地域講習「プログラムA」の基本的な考え方です。
で、本題に戻ります
。介護保険・自立支援法といった福祉の話に立ち入りすぎて、やや話を大きくしすぎたかもしれません。そろそろ本題のITの話に戻りたいと思います。
ただ、地域生活でITを使うさいの問題、その真の姿については、できるかぎり指摘できるようにしたつもりです。「パソコンがないから使えない」わりには、多量のパソコンが家庭や施設に死蔵されています。「パソコンが学べないから使えない」わりには、多くの障害者向けパソコン講習が税金を投じて開催されてきました。
地域でパソコンを使うために、欠けているのは、実はこのような「モノ=物的資源」でも、「ヒト=人的資源」ではないのではないか。いや、両方とも足りないと言えば足りないのですが、もっと深刻に欠けているものがあるのではないか。
もしも、支援する側が見落としている資源の欠損があるとしたら、いかに行政が「モノ」や「ヒト」そして「お金」を投入しつづけても、何も解決しません。障害者が、そして私たちがパソコンを使うための基盤は、つくりあげられないのです。

で、介護保険を題材に生活でのIT利用を省みながら、「欠けているもの」を浮かび上がらせてきました。それは、利用者の努力と介護者の理解が織りなす「ITを使うための環境」でした。そしてその環境は、福祉現場でのある種の〈余裕〉が生み出すものでもありました。
でも、この話はそんなに難しくいう必要はないんですよね。要は、利用者と支援者との「関係性」です。その関係性が、お互い配慮できるような余裕をもって結べていれば、たぶんパソコンも快適に使えている状態になっているだろう、との程度のことです。でも、それが難しいのですが。
ちょっとややこしい話をすると、この関係性のことを「社会関係資本」(ソーシャル・キャピタル) といってよいとおもいます。つまり、「物的」でも「人的」でもなく、「社会関係」が大事、みたいな感じです。
分析を続けてくると、モノでもヒトでもなく、「私たちの人間関係」が無くなってきている、ないしは薄くなってきているから、相互関係のチャンスが限られているから、人間関係を深める〈余裕〉が無くなってきているから、ITも使えないのだ。ということになるわけです。(すごく雑ぱくにまとめてしまいましたが。)
じゃあ宮城UPは、それとは逆のことをすればよい。社会関係をつくりあげるような「パソコンの使い方」をすれば、きっとみんな、パソコンが使えるようになる。

それが、宮城UPの地域講習「プログラムA」の基本的な考え方です。