隠れスポット「双観山」!
「双観山」は、大正11年に当時摂政宮だった皇太子(20歳、のち昭和天皇)がこの地を訪れ碑もつくられました。
この場所から松島湾、塩釜湾、石巻湾がみることができます。
複数の海を眺めることができます。
心が「スッキリ」します。
足を延して隠れ地「双観山」を訪れてください。
一般質問:松島イノベーションヒルズ
私の一般質問の2点目は、松島イノベーションヒルズの工業団地の 促進についてです。ここの松島イノベーションヒルズの開発面積は約28ヘクタール 。2年後の2027年 10月に全面完了する予定です。
松島町にとっては東京エレクトロン以来の大型の工業団地の造成です。ワクワクドキドキする企業誘致になっております。 かつて東京エレクトロンが松島に進出した時、その後の対応があまりよくなく 現在は大和町へ移転してしまいました。このような二の舞を二度と踏まないためにも この松島イノベーションヒルズの企業誘致・工業団地の開発には、腰を据えて取り組むべきです。
道路や水の問題、住宅政策、雇用対策、教育環境等 取り組む課題も多くあります。県や国の協力を得ながら、松島町は全力で 町挙げてこの工業団地開発に取り組むことが必要です。 これまで遅々として進まない部分について 、みんなで協力しこの工業団地の完成に向けて取り組むことを力説いたしました。「脱過疎町」へのトライです。
私も県の関係者や様々な部署にお伺いし 側面からそして正面から取り組んでいく考えです。 町の執行部と議会、住民そして民間企業の連携プレーが うまくいくことが成功するカギだと思います。完成に向けて全力で取り組んでまいります。
松島町12月議会定例会において一般質問をいたしました。 一つは「町政への政治的姿勢」について、桜井町長・副町長・教育長に質問し考えを聞きました。
町長の所信表明の中で、かつてリンカーン大統領の言葉を使い「意思あれば道は開ける」。さらに令和5年の所信表明ではダーウィンの言葉の「環境の変化に対応したものだけが生き残る」という言葉を用いています。
リンカーンもダーウィンも、 1809年2月12日の同じ誕生日でした。 意外な運命を感じます。 政治の改革、一方は生命の改革。様々な功績が後世に残されました。
人間の政治的行動は、すべて自分の信念や信条に基づくものがあります。 町長のこの言葉を私は尊重したいと思います。常にこのことを肝に銘じ、行動し、結果を求めなければなりません。 しかし、残念ながら、その言葉の通り果敢に挑戦しトライし結果を出している状況に、私はないと思っております。
松島町の最大の欠点は、町政に対する「情熱、行動、政策」が希薄であるということです。役場・議会内の空気も「よどんでいる」と感じている町民は多いようです。
この「元気:情熱、行動、政策」の意味の言葉を噛みしめ、さらにはリンカーンやダーウィンの言葉を肝に据えて共に町政運営に取り組んで参ります。
「たかが、されど町議員」 NO.1
わたくしは松島町議会議員の安部孝です。 以前、松島町の町議会議員を経験していました。 その後、県議会議員になりました。 7年のブランクを経て、ふるさと松島町の町議会議員選挙に立候補し11月30日当選でき現在の地位をいただきました。
わたくしが町の議員になり、これから何をやりたいかをお話しいたします。
松島町は消滅可能性自治体に10年前からなっていました。 3年前の2022年、過疎地域指定を受け過疎の町になってしまいました。
私は生まれも育ちも松島町であり、ここに生まれ育ち学び生活し働いてまいりました。 我が故郷が過疎の町になり、かつては1万7000人あった人口も現在は1万2700人ととても寂しい状況になっております。
この町は少子高齢化が進み、人口減少率が高く・高齢化率も上昇し、若者世代が少くない。そして財政状況も厳しく、豊かな町から「貧しい町」に変わっている姿を見て悲しくなりました。
多くの町民の皆さんと対話、会話をする中で「何とかこの町を良くしてほしい。元気な、楽しい、明るい、新しい町をつくってほしい」という要望が町民の皆様から多く出されました。
私はこのような危機的な松島町の状況を見て「まだ自分ができることがある、多くの方が期待していることがある」と感じました。
政治行政の土俵に再びたち「松島町再生」に取組むことを覚悟・決意しました。
私の取り組むべき最大事業は「脱過疎町松島宣言」になります。
どこまでできるかわかりませんが「為せば成る。為さねば成らぬ」精神で全力で取組んで参ります。