凸21/100 江戸城、24/01/04木
 
1130 妻 娘 犬 猫が車COROLLA  FIELDER
          で宮城県へ帰路出発
 
昨日、ネットで百名城、続百名城を確認
していて、今年は30年以上住んでいる
東京と近郊の関東地方にあるお城へ
休暇等を使い日帰りで訪問しようと決意
その最初は、近くてなかなか行けて
いない『江戸城』へ。
    持ち物は名古屋時代に購入した
お出かけ用リュックに以下を詰め込む。
傘、娘に買ってもらった首かけバックに
手帳、充電器、新たにスタンプ帳に
しようと思うA6サイズのメモ帳。
服装は帽子、手袋、ネックウォーマー、
ユニクロの暖かジャンパー(黒)
 
1157 北綾瀬
  ↓        東京メトロ千代田線
1223 二重橋前 252円(定期券使用0円)
 
【特別史跡 江戸城跡】
 江戸城は1457年に太田道灌によって創築されたが1590年に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西ノ丸北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和24年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和44年から北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての歴史的価値が極めて大きく、その規模は我が国随一のものであることから昭和38年5月30日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
まず、楠公レストハウスで100名城
スタンプを押印
 
天気が良く、暖かく、手袋と
ネックウォーマーを外しました。
 
外国人のカップルや家族連れが多い。
 
▶正門(せいもん)と二重橋
 手前に見える橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」。後方に現存する数少ない江戸城の櫓の一つである「伏見櫓」が見える。
 正門鉄橋は、かつては木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため二重に架けられた橋という意味で「二重橋」と呼ばれる。
 しかし、正門石橋と正門鉄橋の二つの橋を総称して「二重橋」と呼ぶ人も少なくない。
 これらの橋は天皇陛下が国会開会式などのため外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されますが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の方も渡ることができる。
 
 
 
▶坂下門
 
▶桔梗門(内桜田門)
 
時々風が強く吹き、帽子を一度飛ばされました。
 
▶巽櫓(たつみやぐら、桜田二重櫓)
 
▶大手門
 大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城した。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっている。大きい門は1945年4月の空襲で焼失し、1967年に復元された。焼失前の門に
飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれている。
この明暦3年には江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は大火の後、江戸城再建時に製作されたものと考えられる。
 
 
 
中の門
 
 
▶天守復元模型(縮尺1/30)
 
江戸時代初期には本丸に3度、天守が築かれた。この模型はそのうちの最後のもので、最も大きかった寛永期の天守を復元。五重6階の建物と石垣の天守台を合わせた高さは約60m、20階建てのビルに相当し、この天守は日本にあったいろいろな城の天守の中で最も高いものでした。建物の壁は銅板と漆喰、破風には飾り金具が付き、屋根は銅瓦葺きで、最上の棟に金色の鯱が輝いていたと思われます。南側の小天守台から石段を登り、天守内に入ったと考えられます。本丸の標高を入れると約80mになり、江戸の町にそびえ立つ豪壮な天守でした。
 
江戸城の天守は3度も建て直されている。模型は3代将軍徳川家光が建てた3度目の天守。寛永15年(1638年)に竣工、明暦の大火で焼失するまで20年間しか存続しなかった。4度目の天守再建計画はあったが、石垣の天守台のみ造られて中止となった。明暦の大火で江戸の町の大部分が焼失し、軍事上無用な天守の再建より、町の復興を優先させた、と言われている。以降は、同じ本丸の南にある富士見櫓(現存)が天守の役割を果たした。
 
1590年、徳川家康が江戸城に入場
1603年、家康、幕府開府
1604年、江戸城普請計画を諸大名に命ずる
1605年、秀忠、2代将軍となる
1607年、慶長の天守が完成
1622年、本丸の大改造を開始
1623年、家光、3代将軍となる。元和の天守完成か
1638年、寛永の天守が完成
1657年、明暦の大火により天守、本丸御殿など江戸城の大半を焼失
1658年、天守台再建。天守再建中止。以後天守は再建されず
1868年、15代将軍慶喜、江戸城を出て上野寛永寺に蟄居。
      明治天皇御入城。江戸城を皇居とする。
 
 
▶天守台
 
 
 
 
 
▶本丸御殿
 この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいた。本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていた。
 表は、将軍の謁見(えっけん)など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所(みだいどころ)と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性達の生活の場でした。
 
▶富士見多聞
 
 
▶富士見櫓
石垣の上に立つ富士見櫓を見るには、皇居一般参賀に申し込む必要があるそうで、写真の眺めを確認することはできませんでした。
 
 
1429 大手町
  ↓
1449 綾瀬
1458
  ↓
1502 北綾瀬 252円(定期券使用0円)