宮川豊史の東久留米ハッスルブログ

宮川豊史の東久留米ハッスルブログ

東久留米市議会議員・宮川豊史の活動報告です。
目が見えないという障害があるので、画面を読み上げる音声ソフトを使って書いています。
基本的に毎日更新しますので、無党派・無所属、100%市民派の宮川豊史だからこそ出来る本音トークを、どうぞお楽しみください。


19日の環境建設委員会と20日の予算委員会に体調不良により欠席してしまいました。
ご迷惑、ご心配をおかけした皆様、大変申し訳ありませんでした。
もう完全回復したので、26日の最終日はしっかりと出席させていただきます。
ちなみに、コロナなどの感染症ではないので、どうぞご安心ください。

 


富田竜馬市長も野球が大好きで、子供の頃からライオンズファンであることはみなさんご存じの通りです。
ですが、富田市長が高校時代に野球部に所属していて、
その野球部を途中で辞めさせられたことを知っている人は少ないのではないでしょうか。
辞めたのではなく、辞めさせられたのです。
あるひ、部員達の練習態度が悪いと怒った監督が、おまえら全員クビだ!と言い、
本当にそのまま辞めさせられてしまいました。
練習態度が悪いことは反省しなければいけないかもしれませんが、
それで部活を辞めさせられたなんて話、聞いたことがありません。
そもそも監督にそんな権限はありません。
今だったら即ネットで炎上して、大問題になったでしょうね。
しかし、当時の富田少年はこの監督の理不尽な対応にただ耐えるしかありませんでした。
大好きな野球をこういう形で辞めることになり、さぞ悔しかっただろうし、
やりきれない気持ちになっただろうと思います。
もしかしたら、富田市長にとってこれが人生最初の挫折だったかもしれません。

しかし、これでくじける富田市長ではありません!
野球部を辞めた後、富田少年はこれまで野球につぎ込んでいた情熱を、
今度は勉強に注ぎました。
そこから猛勉強して、見事に現役で大学合格を果たしました。
もし野球部を辞めさせられていなかったら、大学に合格していなかったかもしれませんね。

人は誰でも挫折を経験します。
大切なのはその挫折を踏み台にして、自分をもっと高いステージにレベルアップ出来るかどうかです。
もしレベルアップ出来れば、挫折は決してマイナスではないのです。
挫折を経験した人ほど、より成功に近づくことが出来ると言ってもいいでしょうね。
 


いつも書いていることですが、私はダメ出しをされると非常に喜びます。
なぜなら、ダメ出しを受けることによって、自分をよりレベルアップさせることが出来るからです。
でも、ほとんどの職員と議員は何も言ってくれません。
特に年上の人ほど何も言いません。
おそらくそれがある意味一種の気遣いなのでしょうが、そんな気遣いはいりません。
言いたいことも言えない関係では、そこに本当の信頼なんて生まれないからです。

ところが、今回の私の一般質問に対して、
多くの職員と議員がダメ出しをしてくれました!
しかも全員私より若いしょくいんと議員です。
まず、ダメ出ししてくれたこと、そのものが非常にうれしかったですね~
さらにうれしかったことは、私の一般質問をしっかりと聞いてくれたことも、とってもうれしかったですね~
そもそも私の質問を聴いてなければ、ダメ出しすら出来ませんからね。

東久留米市役所も東久留米市議会も、確実に新しい風が吹き始めている。
そう感じる瞬間でした。

 

私は昨日の一般質問の冒頭で、富田竜馬市長の過去について語らせて頂きました。
「これ」を語れるのは、もはや世界中で私ただ一人です。
なぜなら、富田市長ですら、自らの昔話などほとんど覚えていないからです。
私も、これらをまとめて富田市長から聞いたわけではありません。
私と富田市長とは、もう20年以上のつき合いです。
これまで会話の合間にちょこちょこ出て来た富田市長の昔話を、思い出してつないでまとめたのが昨日私が話した内容です。
なので、昨日の私の一般質問の壇上での話は、20年以上かけて完成した超大作ということになりますね。

昨日の一般質問では、私が富田市長と初めて会った時の第一印象については述べなかったので、
今日こちらで書きますね。

私と富田市長が初めて会ったのは、2003年4月の東久留米市議会議員選挙の直前でした。
その時はお互いもうすでに立候補表明をしていたので、
これから選挙で戦うライバルとして挨拶をかわしました。

私の富田市長の第一印象は、
明るく笑いながら、しがらみのない政治を語る「生意気そうなヤツ」です。

実際、市議会議員に当選した富田市長は「生意気」そのものでした。
富田市長は25歳という最年少で市議会議員に当選したということで、周りの議員は全員年上。
議会で対峙する部課長も、全員40代・50代の人生の先輩方。
にも拘わらず、25歳の富田市長は、そんなことに臆することなく、恐れることもなく、全く遠慮することなく、
議会で堂々と自分の改革案をぶつけて来ました。
富田市長の発言を笑った部長に対しては、
「何笑ってるんですか!」
と怒鳴ったりもしました。
市議会のフロアの廊下で笑い声が聴こえたら、100%富田市長でしたね。
本当に生意気な野郎でした。
でも、その時の富田市長は、目が見えない私でもわかるほど本当に光り輝いていました。

私は、今の物事の分別があって、常に謙虚で誠実な富田市長よりも、
25歳の時の「生意気」だった富田竜馬さんの方が好きですね~
 

今日から各議員による一般質問が始まりました。
私は一番目に登場し、無事一般質問を行いました。
今回の質問、いつも以上に気合いが入っていたのは、壇上でいつもより長く話す予定だったからです。
結局、壇上で20分以上も話しました。
なぜこんなに長くなったかというと、
私の目が見えなくなった16歳の頃の話をしただけでなく、
富田市長がこれまで多くの困難を乗り越えて来た話もしたからです。
富田市長は、あまり自分の口では語りませんが、
これまでの人生の中で、数々の逆境を乗り越えて来ています。
富田市長が現在、上下左右関係なく、誰とでも分け隔てなく接し、
常に謙虚で誠実なのはそういう経験があるからです。
そのことを私から語らせていただきました。
市長として難しい判断を迫られる場面も多くあるとは思いますが、
若き日のつらく苦しい経験を思い出せばぜったいに大丈夫です。
どんな困難も乗り越えられると私は確信しています。

富田市政が本当に厳しい改革に取り組むのはこれからです。
その困難を乗り越えてこそ、本当の意味で東久留米市の洗濯が出来、
将来の市民のみなさんによりよい東久留米市を残すことが出来ます。
その市長の覚悟を、今回改めて確認させていただきました。

とにかく今は、ハッスルパワーを全部出し切れて、ほっとしています。
今日はゆっくりと休んで、また明日から頑張りたいと思います。