「自分て、なんだ?」
自分探しをしている人も多いと思います。
人間は知恵あるために、地球上で一番悩んで生きています。
自分は「自らを分ける」と書きます。
どういうことか、分かりますか?
自分は自分、だけど自分の分身もいるということです。
それは他人という自分です。
他人は多人(たにん)でもあって、自分と多くの他人はもともと繋がっています。
人間は一人では生きていけません。
たくさんの自分がいて、一人ひとりの自分が、みんなに自らを分け与えて、分け合う。
苦しさも、楽しさも、喜びも、悲しみも、全部他人という自分に分け与えて、分かち合う。
本当は他人なんかいないのです。
自分のお父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、ひい爺ちゃん、ひい婆ちゃん、…と、どんどん辿っていたら、どこかでみんな繋がっています。
他人の也(ほか)は(人也)。
この(人)とは自分のことです。
他人とは(自分である人)ということなのです。
だから人と出会い、自らを分かち合い、助け合う。
会い、(あい)も、合い、(あい)も、愛です。
(ゴルゴ松本著「あっ!命の授業」より一部抜粋)
拝啓 命がけより、心がけ。
心がけは愛です。
時の間は愛なんです。
心を亡くす、忘れることは悪いことではありません。
辛いこと、悲しいことも忘れるから生きていけます。
忘れることができるのは、時間、時の間があるからです。
人はみな、時間、空間、瞬間という世の中、世間に生きてます。
「間」の中にいます。
この間って何だと思いますか?
間の訓読みは、「あいだ」です。
そう、「間は愛だ」と宣言しています。
それを学ぶのが、「人間」なのです。
誰かと誰かが喧嘩して、見かねたあなたが間に割って入るときに、何て言いますか?
「まー、まー、まー、」って言いませんか?
ひよっとしてこれ、喧嘩を忘れるために、(間を取りなさい、間をおきなさい)と言っているのではありませんか?
一人では何もできないから「仲間」がいるのです。
(ゴルゴ松本著「あっ!命の授業」より抜粋)
今年の夏は実に暑かった。
日本には、春、夏、秋、冬、があります。
夏から冬と一足とびにはなりません。
秋が来て、冬になります。
日本ではそれが当たり前ですが、世界には一年中寒い国や、暑い国があります。
四季がある素晴らしい国、それが日本です。
繰り返す四季があるのは、自然が忘れないために同じことを繰り返すからです。
人間はわすれやすい生きものです。
こころを亡くすと書いて忘れるです。
いそがしくしていると、こころを失くします。
繰り返しすることで、忘れないようにします。
亡くしたこころを取り返すために、また戻って来てくれる、自然の優しさ、愛なのです。
(ゴルゴ松本著「あっ!命の授業」より一部抜粋)
引き続き、ゴルゴ松本さんの著書からの抜粋です。
とても興味深い内容でしたので、ここに共有します。
「許す」という文字は、言偏に午(うま)と書きます。
午(うま)は、干支の子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)巳(み)午(うま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(い)の真ん中にあります。
また、昔は正午の事を、「午の刻(うまのこく)」と言いました。
ご飯を食べた時には、「牛負けた、午勝った(うまかった)」と言う洒落もあります。
牛と午、見た目にはちょっとの違いです。
しかし、許す、許さない、は全く反対の言葉です。
その境目は、子(ね)、午(うま)なのです。
子午線は、北極と南極を結ぶ縦の線です。
許すことが出来れば、ウマくいく、ウマが合う。
そして、許すことは、相手を認めることです。
「認」は、言偏に忍ぶと書きます。
言いたい言葉をぐっと飲み込んで、忍んで、相手を認めてあげる。
そうしたら、相手も自分を認めてくれます。
お互いが許し合い、認め合う笑顔になります。
まずあなたが許さなければ、そこから先には進めません。