向日町運転所 (最終編  583系) | miyaden117のブログ

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別サイトで「大ミハ117のブログ」(閉鎖済)
をやってましたが引っ越して来ました。
少しずつ国鉄時代(電車)の写真をアップする予定です。

 

大ムコ最終編 583系特集記事としました。

私自身 ゴーパーサン がお気に入りの車

運転するのが好きでした。

 

どうぞご覧下さい

 

 

「急行]幕  

金沢運転所457系 475系「立山」 大ムコ持ちに

 

 

「有明」幕

 

 

「にちりん」幕

 

 

幻の「銀河」

 

 

下り向きクハネ583-28 

 

 

ボンネット「雷鳥」と

 

 

「銀河」東京行

クハネ583の行先方向幕はJNRマークと乗務員ドアの間に有りました。

 

 

「銀河」品川行も用意されていました。

 

583銀河が実現されていたならば、宮原電車区がハンドルを握っていたでしょう。

私の仮定では向日町操車場~大阪~宮原操車場北線

~大阪~米原が宮原電車区

米原~名古屋が大垣電車区

名古屋~浜松が名古屋第二機関区又は浜松機関区

浜松~沼津が静岡運転所又は沼津機関区

沼津~東京~品川客操が田町電車区

東京側は「東の田町」 大阪側は「西の宮原」

名古屋側は垣電  いずれも名門電車区の出番

だったことでしょう。

 

 

大阪駅中線での「銀河」

大ムコの台車検査後の試運転は向日町操~大阪 往復

このクハネ581は下り向きで上り方に485系ユニット

クモヤ91を連結した6両混編成

大ムコの試運転は485+583+クモヤの混編成が多かった。

 

 

クハネ581の行先方向幕の位置

「なは」を出しており 前と横 が一致していません

 

向転所の マニア が出したのかな(笑)

 

「日本海」幕   

昭和60年10月(秋臨)で運転され 客車「日本海」とは

波の形 が全く異なっていました。

 

この583系日本海 鷹取で撮影(上り貨物線) JR化後?

実は私がハンドルを握った列車でした。

正しい幕は「シュプール妙高・志賀」

乗務行路は、大阪→神戸(客扱い)→鷹取 折り返し

      鷹取→大阪(運転停車)→向日町操車場

 

大阪から同じ宮原電車区から交代引き継ぎ神戸まで客扱い

神戸から先は回送となり 鷹取折り返し となりました。

下り貨物線到着→神戸方引き上げ(東引上)→上り貨物線

に据え付け 

運転方法は入換信号機を見て運転士単独で行う

のでは無く入換標識扱い 鷹取駅操車係 が誘導してくれま

した。

※入換標識とは操車係が添乗・誘導下で入換を行う方式のことです。

 

操車係の「運転士さん 進路構成OK ぼちぼち

行きまひょか」の合図の下、2ノッチ投入 操車係は緑色旗を出

していました。

 実はこの日初めて鷹取折り返し経験 つまり

「ぶっつけ本番」でした。

初めての線路 で緊張したのを今でも覚えています。

また構内運転で2ノッチ限定なので583系10両編成は重たかったです。

運転士が新たな線を担当する時は「線見」と言って実際に

運転台に添乗して 勉強 するのですが、鷹取の場合、それができず、電車区指導 から「1回鷹取歩いて来いや」

と言われ鷹取の側線を下見がてら歩いただけでした。

(勤務は出張扱い)

 

歩いて見てもピーンと来ない 勿論のこと

そして「ぶっつけ本番」 停止位置目標がイマイチわからず

操車係が 「この辺で止めてや」の合図でブレーキ

「入信」と「入標」の違い 改めて実感した日でした。

今までは 大久保駅折り返し が定位でしたので初めての経験でした。

 

無事上り貨物線に据え付け発車まで時間が有るので

恒例の幕回し「日本海」を出し撮影(まだ薄暗いです)

所定の「シュプール妙高・志賀」にして向日町操車場

までハンドルを握りました 途中沿線には マニアの

撮影が見られました。

 

尚昭和61年11月ダイヤ改正から一定の条件(列車

無線、防護無線、EB装置等)を満たした回送列車は

「車掌乗務省略」化されました。

神戸→鷹取 入換転線 

鷹取→向日町操車場 (途中 大阪駅のみ停車)

この区間 私ひとりだけ の乗務です。

到着後は運転所にて点呼 向日町駅まで歩きました。

歩くとそれなりの距離ですが向日町操車場東群線を見れるので苦になりませんでした。

運転所と駅 マイクロバスの送迎が有りました

便乗で帰区 点呼を行い早朝から

の乗務を終えました。

 

更に余談ですが、 普通 運転士が初乗務 する時は

「指導員」が添乗するのですが「鷹取 気付けて行って

来てや それと楽しんでこいや」と任されてしまった。

乗務鞄に カメラ を入れての事を察知しての一言だった

のだろうか(笑) JR化後だとしても まだ良き時代でした。

また この仕業の出勤時刻は午前5時台なので大阪乗務員

宿泊所の御世話になりました(前泊)

仲間同士で 居候(いそうろう)と言っていました

マニアの私に 入れて(乗せて)くれる仕事

皆ええ人やった。

 

職務怠慢をお許しください でも古き良き国鉄時代

あの頃は楽しんでハンドルを握っていました

令和の時代 楽しんで乗っている者 居るのかな?

 

ここからは マニアックな583系資料としてご覧下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理室 冷蔵庫や電気コンロ が如何にも食堂車らしい

 

出区点検時 温水器起動ボタン を押しました 

洗面台 水と温水 の切り替えの為

 

 

長々と失礼

ご覧頂き有難うございます。