片町線103系をご覧下さい
放出駅を出発した長尾行き
当時は長尾駅が電化区間の終点でした
片町寄りのユニットは宮原区からの転入車で混色編成
昭和59年2月ダイヤ改正で福知山線宝塚運用が6両編成
から4両編成に減車 余剰ユニットが淀川区へ黄色のまま
転入しました 更に遠くは赤羽線用(池袋電車区 北イケ)
や常磐快速線用(松戸電車区 北マト)に転出した車両も
有り 国鉄ならではの広域転配 でした
「片町」表示が懐かしいです 河内磐船駅(だったかな?)
2代目淀川電車区(放出駅近く 東大阪市内)
1番左の編成はユニット全車がカナリアイエローの混色編成です
ここからは「淀電」関係の資料編としてご覧下さい
国鉄末期(昭和61年5月)千葉局津田沼電車区(千ツヌ)から
101系の転入(2ユニット4両)が有りました
また101系の103系化改造(サハ101→サハ103)
も有りました
昭和61年5月 津田沼電車区→淀川電車区 転配行路表です
前回計画(昭和61年5月)に続き7月にも101系の
103系化改造が行われました
2本の6両全車電動車編成が登場しましたが 真ん中の
ユニットは サハ扱い(ユニットカット)だったと思います
これにより「淀電」にサハ103ー777 778 779
780 の4両が配置となり103系7両化に活用されました
因みに大阪環状線の森ノ宮電車区(大モリ)にも
これ以前から 化けサハ103 が居りました
余談ですが「淀電」にも電車運転士同期生が居り
103系より101系の方が ええで と言って
いました それは加速性能 電気制動が優れてい
るからと教えてもらいました
私を含め 本線組(高電吹派を除く)は101系を
運転した事が無いです
101系のハンドルを握ったのは 淀川電車区
森ノ宮電車区 天王寺局奈良運転所(関西本線
奈良~湊町)でした
ご覧頂き有難う御座います