今日は多様性について考えてみようと思うのです。


昨日私は、セイラー服姿の男性を見かけました。

私は最近夕方になると特に視力が落ちあんまりあまりあれこれ見えないのですが、セイラー服の方が階段の入口でこちらの方角を見ていたのです。

電車の案内を見ていたのかもしれませんが、私は手すりを使いたくて悩みました。


が、3秒くらいして動き出してくれたので安心したのですが。ここで考えてしまったのです。


 多様性とは、セイラー服にすね毛も許される価値観なのだとすると、どこまで人は多様に暮らして良いのだろうか。私のような変なところが気になる人間には

非常に難しいのです。


 昭和な昔は、公を大事にしていました。しながらも個人の判断に委ねられ物事を判断する風潮もありました。しかし今の時代は、個人の判断以上に社会の慣習やルールに縛られる時代になっている気がします。


だから多様性もそのうち枠が決められ枠をはみ出したら、攻撃されるのかななんて思います。難しい時代を生きているからこそ楽しみたいと思う火曜日。