アメリカのゴア副大統領が情報スーパーハイウェイ構想を打ち出し、Y2K問題が話題となり、IT革命で騒ぎたてられているころ、情報格差の問題が叫ばれていた。


いわゆる、”デジタルデバイド”

情報ネットワークにアクセスできるものとできないものの間で社会的、経済的に格差ができてしまうことをさしていた。

でも、この種のことは昔からあった。


文化というのものがうまれたころ、農産物の栽培のために集団化社会化した組織の中で、文字をつかさどるものが他の者を従え優位な地位を確立した。

それは、観察したことを記録することで、他のものが知りえないことを自らの力として蓄積することができたからだ。

農業が人類の中心の産業だったころは、天候のめぐり合わせなどの暦を知っていることだ。


あるいは、農地の囲い込みが行われ小作人が都市に流れ込んだころ、力をもっていたのは物理と化学の力を他のものよりもずっと知りえていた産業資本家だ。


こういった時代を経て今がある。

現在においては、低廉な方法で簡単に情報にアクセスできる。

そのため、情報の流れを途中で仕切っていた中間の媒介者の役割がせばまった。

商社の中抜きやホワイトカラーの没落である。

しかし、それでも彼らの役割があるのはなぜか。

情報の編集能力にある。

たしかに単純な物権の移転や不労による口銭料の徴収なんかは、生産者と販売者がコストをかけないでつながることができる社会基盤が整ったので忌避できる。

それでも、中間のものが社会に必要なのは、ひとつには情報を収集して編集する力があるからでないか。

そこに力の差がうまれてくるのだと思う。


個々の対応はというと、情報ネットワークへのアクセスの方法であるOSの立ち上げ方やネットワークアドレスの設定の仕方はおおむね必要だと感じる者にいきわたり、ツールとなるソフトウェアの操作も覚えた段階だ。


では、次はどんなことが必要かというと、やはり情報を効率的に収集し役立つ形に編集しなおし、効果的に社会に提案できる者がより優位にたてる。

ソフトウェア自体も、オープンソース化の流れに沿い情報の加工ツールも誰もが手に入れることができるようになった。

ゆえに特定の者が提供する技術に依存することなく広く社会にいきわたっている共通知識のあることが前提条件になる。


あっ、まとまらなくなった・・・

でも、せっかく書いたんで尻切れということで。