わたしの人生は苦しみ多いものでした。

 

それは、自分の世界に対する認識の仕方、つまり認知が生まれつき(たぶん)悪い、悪いほうへ悪いほうへ考える癖があったためだと、今ではわかっています。

 

つまり、わたしの人生を起こることに対する「認識」がどうなのか。

 

起こったことではなく、この「認識の仕方」に問題があったのです。

 

 

わたしは、わたしのような人生を送ってほしくない。夫のようにあんまり気にしない風とおりのいい人間でいてほしいと、娘を妊娠したとき思いました。

 

そのころ、スピや心理学的なことは一切知りませんでしたが、娘には決してやらないでおこうと思ったことがあります。

 

それは、愚痴や人の悪口などを、娘には一切聞かさないで育てようと決めたことです。

 

なぜかというと、わたしは生まれ育った家族のなかで、母親の愚痴聞き係のような立場だったからです。

 

母親に悪気はないとは思います。

 

でも、近所の井戸端会議で大人同士が他人の批判や、愚痴、人の悪口を言い合うように、それを子供に対して行うのは、非常に有害だと、なんの知識もなくても、実体験で思っていたからです。

 

そうやって、育てても、ある日、娘から衝撃的な、言葉を聞きました。

 

娘がまだ小学生ぐらいのことだと思うのですが、夫の実家のほうに帰省した時だったと記憶しています。

 

電車に乗っていたのですが、娘が突然言ったのです。

「わたしのこと笑ってる」

 

確かに、女子高生みたいな集団がいて、遠くで笑っていました。

 

わたしは必死に、娘を説得しにかかりました。

 

「あの人たちは、ひーちゃんのこと知らないでしょう?知らないのにひーちゃんのことを笑うわけがないわ」とかなんとか。

 

娘が納得してくれて、ほっとしましたが、わたしの心は暗たんとしていました。

 

その、全然見ず知らずの他人が、自分のことを笑ってるように思う。

 

それは、わたしが小さいときの心にも芽生えた、心のパターンだったからです。

 

こういう、心のパターン、いろんなバリエーションがありますが、これは、人類の意識の共通のパターンなのでしょうか。

 

いくら人の悪口や愚痴を聞かさないように、育てても、どうしても他人とのかかわりのなかで出てきてしまうものなのかと。

 

娘には私のようになってほしくない。

 

そればかり、考えていました。