わたしは30歳ぐらいのときに医者から緑内障だって言われて、急に視力が落ちたら光は感じられるけどほぼ見えなくなるかもしれないって言われて、すごく落ち込んで、もう生きていられないと思って、苦しんで。
結婚したり引っ越したりで、違う眼科の医者に通って、何回か医者が変わって、はっきりとは言われなかったけど、緑内障と限定されたわけじゃなくて、緑内障の疑いの範囲みたい。
でも、普通の人は3本ある視神経が1本しかないし、視野検査でも視野は普通の人よりは狭い。
視力がなくなったらどうなるのって思いに、何度も苦しめられた。
自我ちゃんはそうよね。大事だとおもっているものがなくなったら、どうしたらいいのって、苦しむの。だってわたしは読書が好きだし、ドラマだって漫画だって読みたいし。
とてもわかるわ。大事なんだから、不安よね。苦しいよね。
でも、もうひとつの視点があって、もし、わたしから視力が無くなったら、それは「もうあなたには必要がない」ということなの。
自我ちゃんには受け入れがたい話よね。
もう本は読めなくなるかもしれないけど、老化していく顔を見続けなくても済むかもしれないし。
無くなるものもタイミングも、なにもかも、あなたという人がいて、あなたが決めるわけではないの。
でも、「もういいのよ」「もう手放していいのよ」っていう、世界の優しさでもあるの。
♪世界中の悲しみがいっぺんに 私のところにたずねてきた
私はおもてなしに紅茶を淹れたりケーキを出したり
大忙しよ 大忙しよ
そしたら向こう三軒となりの友達が
エプロンかけて手伝いにきた
大助かりよ 大助かりよ
私のお客たちは帰ったわ
みんな気分良くしてね
でもあの人たちが家へ帰って
「あの子の家のおもてなしは最高だからもいちどみんなでおじゃましましょ」
なんてうわさされたら
たまんないわね たまんないわね