別冊漫画大快楽(檸檬社)は、

とにかく修正が酷かった。


三流エロ劇画ブームの中の位置付けで

三大エロ劇画誌と呼ばれていた

・劇画アリス(アリス出版)

・漫画エロジェニカ(海潮社)

・漫画大快楽(檸檬社)


その中の1つである出版元であったし

警視庁保安一課から、警告が入り

目を付けられていたからだろう。


前年【1978年】に、漫画エロジェニカ

(海潮社)11月号が、7回目の警告後に

発禁処分を受けてからというもの

どこの出版社もピリピリしていた。



矢沢永吉の作品に《黒く塗りつぶせ

という楽曲があったけれど、


檸檬社の編集員はホワイトや付箋で

白く修正していた。


付箋なら、後で剥がせば済むけれど

ホワイトは酷いよなあ…。


まだまだ、この時代、漫画原稿は買取り

という意識が強かった為に、作者に返却

されない事が、業界の常だった。


原稿料さえ支払えば、原画は出版社の

好きにして構わないという発想の元

ベタベタ塗り潰され、ペタペタ付箋が

貼り付けられていた。


1コマの上から下まで付箋を貼り付け

その両サイドに枠線を書き足した

まるでコマ割りのような修正方法。


なかなか手の込んだ修正技法だと思う

けれど、余りにも諄いと呆れてくる。


結局、編集者が疲れてくると、唯々

長方形に白く塗り潰しだす始末。


これを、掲載作品全部に施してから

やっと印刷所に原稿が渡るのだから

修正も、だんだん雑になるだろう。


そもそも、パンツの皺程度の描き込み

しかしていないし

ましてや、局部を克明に描き込んだ

覚えも無いのだから

発行された雑誌を見た時に唖然と

してしまった…。


そこには、意味不明のコマ割りと

ベタベタに塗り潰された絵が残り


ファックシーンのセリフまで

随所で消されていた。


それは、宛ら不許可の烙印を

押されたようであり、あまりの酷さに


私は益々、やる気を失った…。



檸檬社は修正が酷かった👈ここをクリック



別冊漫画大快楽  1979年8月号







ここまでは、三流エロ劇画業界の
絶頂期の、お話です。
私が、能天気に漫画を描いていられたのは
ひとえに業界が好調で、どこの出版社も
新人を求めていたからなのです。








ここからは終末期の、お話です。



三大エロ劇画誌の終焉👈 ここをクリック




業界を牽引して来た、三流劇画ブーム時の

三大エロ劇画誌


・劇画アリス(アリス出版)が、1980年5月号

で、休刊。


劇画アリス最終号  1980年5月号


・漫画エロジェニカ(海潮社)が、1980年6月号

を発行後、7月に海潮社が倒産。

実質的な最終号となった。


漫画エロジェニカ最終号  1980年6月号



その後、漫画大快楽(檸檬社)の1人勝ちかと

思われたのですが…



1981年初頭にビニ本裏本ブームが起こり


家庭用ビデオデッキの普及による

アダルトビデオブームまで起きてしまい


三流劇画退潮の波には勝てなかった!

とうとう、1982年10月号で廃刊に。


檸檬社が倒産してしまった為、多くの作家が

原稿料未払いの憂き目に遭いました。


漫画大快楽 最終号  1982年10月




檸檬社が倒産した1982年は激動の年で、

たった1年間で、エロ劇画系漫画が淘汰され
ロリコン漫画が、勢力を伸張し

後に美少女系エロ漫画として
定着したのです

それに伴い、各出版社もエロ劇画系から
ロリコン漫画系に、シフトしていきました。

どんどん、減っていく官能劇画誌

エロ劇画作家は、どんなに頑張っても
ロリコン漫画では採用されないのです。

阿鼻叫喚のイス取りゲーム
始まりました。




何だか貸本漫画が淘汰されていった時に
酷似していると、思います。

あの時は一般家庭に普及してきたTVと
相次いで創刊された少年週刊漫画雑誌
シェアを奪われ、衰退していったのです。











ここまで、お読み戴き有り難うございました。


このブログは、『怪奇マンガのあなぐら』

管理人まっどどっぐ・がちょん さんのご厚意により引用許可を戴き実現しました。
心より深く感謝いたします。