みなさん、こんにちは~ニコニコ

本日も、ご訪問ありがとうございます。


それでは、官能日記始めさせて頂きます!






私が、スタジオにぶんのいちに入った時には

流悦子先生は仕事場を、ご自宅に移されて

おりました。


スタジオの、あまりの汚なさに逃げ出したのか

もしくは集中出来なくて移動したか?


真意は、定かではありませんが、

宮本先生が、なかなかスタジオに現れない時は

大抵、流先生のヘルプに入っている時でした。







で、スタジオに到着した時には
精根尽き果てた状態だったりするワケです。

ネームの段階でつまずいてる時も良く
見受けられましたね~。
ん~、これは傍で見てても辛かったですよ。
スタッフ一同、見て見ぬフリ…。

と、思ったらソファーで寝転がって
漫画読んでたり爆笑


宮本ひかるは苦悩する漫画家なんです。
『産みの苦しみ』
どんなジャンルの、どんな作家さんでも
避けては通れない道だとは思いますけれど。

やはり、原作付きの麻雀劇画が最も楽だった
のでは無いでしょうか?
麻雀モノだと、オリジナル作品でも
ネーム作りが、早かったですね。

天性の麻雀劇画作家だったと思います。











一方、千駄木大槻荘の杉戸先生は



1977年にコミックセルフで
官能劇画デビューするやいなや
たちまち売れっ子作家に!

これには、宮本先生もさぞかし驚愕
した事でしょう。

だって、官能劇画デビュー直前まで
こんなの描いていたのですから







そして、杉戸光史を語る上で切っても切れない人物が、いました。 


それが、この方です!




私が、杉戸先生に師事した1979年当時

杉戸光史→連載10~15本 月産2~300ページ
あがた有為→連載15~20本 月産3~400ページ


こんな、感じだったと思います。

杉戸先生が描いている雑誌には
もれなく、あがた有為先生も描いていて
更に、杉戸先生が描いていない雑誌にも
あがた先生は描かれていましたから。
いやぁ、どれだけ筆が早いんだか…。


嘗ての、石ノ森章太郎かジョージ秋山並みの
まあ、伝説を数々持つ作家さんは
他にも大勢いらっしゃるとは、思いますが。


官能劇画の大巨匠→あがた有為
いま一番売れてる官能作家→杉戸光史

当時は、このように表現されていました。


しかし、杉戸先生の月産300ページですら
私には辛かったです。
常時アシスタント2人だけでは、全ての背景を
埋めきれない事も、ありました。
そんな時、杉戸先生は次作のネームを
作りながら、自ら背景を埋めていましたね。

あ、ネームは原稿用紙に直接ですよ!
ノートで作ってから、描き移すなんて
そんな余裕は皆無でしたから。


それにしても、世の中には凄い人物が
いるものです。

ペン入れをしながら時々、思いついた
アイデアをノートに書き留めているんです。

ペン入れしつつ、終わったら背景作画。

完成した頃には、次の作品のプロットが
出来上がっているんです


毎月200ページの怪奇もの単行本を
描き上げていた、杉戸先生にとっては
たかだか20数ページの官能劇画なんて
ワケなかったのかも、知れません。
しかも、連載と言っても毎号掲載している
というだけで、すべて読み切りですから


『ワシが杉戸光史じゃーー!!』

こんな感じで、描き飛ばしているようにも
私には見えました。


同じように、あがた有為先生も、


『ワシが帝王あがた有為じゃーー!!』

そう叫びながら描いていたに違いないです。


お二方とも、天性の官能劇画作家
間違いございません!











それで、いまココ↓

スタジオにぶんのいちに、話が戻ります。

ぬるま湯です(笑)




皆さんは【手首ラーメン事件】を、
ご存知でしょうか?
覚えていらっしゃる方も、おられると
思いますが、





チーフアシスタントの石井さんが、
夜鳴きそばが、好物で『チャルメラ』が
聞こえると

「あ!チョッと食って来ます」

と、言ってスタジオを飛び出していたのです。
時折、宮本先生も御一緒してました。







そうです!〖その時のラーメン屋台は尾久荒川の土手〜西日暮里のコースだった〗のです。


そのニュースが、ラジオから流れた時
石井さんが、真っ赤になってトイレに
駆け込みました。
昨日の夜も食べに行ってましたから。


「オェおぇえ~~」
石井さんの嗚咽と吐瀉物が飛び散る音が
聞こえて来ます


ちょうどその時、食事に行っていた
宮本先生が帰って来ました。

「牛丼買ってきたから、食べなよ~」


事情を話すと、先生は
「や~、危なかったなあ。最近食ってなくて
良かった~」
と、大笑いです。

そして、石井さんに向かって言いました。

「牛丼食わないの?冷めちゃうよ」

「いや、結構です。」

そう言うと、石井さんは押し入れの布団に
潜り込んでしまいました。




石井さんの分の牛丼も
私が美味しく戴きました爆笑





それでは、お後がよろしいようで



このブログは、『怪奇マンガのあなぐら』

管理人まっどどっぐ・がちょん さんのご厚意により引用許可を戴き実現しました。
心より深く感謝いたします。