【心の声を聞く】本当の望みを明らかにする方法 | 【50代】離婚ビフォーアフター/人生の振り返りの時

【50代】離婚ビフォーアフター/人生の振り返りの時

50才前後から人生の振り返りが始まりました。
私の過去、親、家族、結婚、離婚、パートナーシップ、人間関係、仕事などからくる、今の私の価値観を書いています。



私も含めて、人はよく

自分の気持ちを表現するのに、





「〇〇と思う。」





と言うよね?





だけど、その「思う」って言葉は、

私個人的な感覚なんだけど、

曖昧な言葉だと感じています。





「思う」って実は、





「感じていること」

考えていること」





が、ごちゃ混ぜになった言葉なんじゃないかな?って。





「感じていること」

「考えていること」





って、実は真逆なことが多いんじゃないかな?





「思う」という曖昧な言葉が、

自分の本当の「願いや望み」が見えづらくなってる原因じゃないかな?





今回は、





「思うこと」

「感じること」

「考えること」





についての私の考えを書いてみます。










いきなりだけど、簡単な例えをしてみます。






「本当は〇〇したいと思ってるけど、〇〇と思うとなかなかできないと思ってる





と自分が思ってるとします。

こんな類の話、私自身も、私の周りにも、よく出てくる話の内容です。






この文章には、3回も「思う」が出てきています。

これは、「感じていること」「考えていること」が、ごちゃ混ぜになってると感じるんです。





私の感覚で、この3回の「思う」という言葉を、





「感じていること」

「考えていること」





で置き換えると、





「本当は〇〇したいと感じてるけど、〇〇と考えるとなかなかできないと考えている





となるんじゃないかな?





「感じる」ことが、

自分の本当の「願いや望み」なんです。






なのに「感じる」ことよりも「考えている」ことが優先されてしまっています。

これが私たち世代の特徴なんだと私は考えています。







「感じる」のは"心"

「考える」のは"脳"






です。





私たち世代は、"脳"優先で、"心"を押し込めることが多いんじゃないかな?






考える"脳"が優先させてることは、

これまでの教育や価値観や常識。






「〇〇してはいけない」

「〇〇すべきだ」

「こんなことしたら恥ずかしい」

「常識から外れてはいけない」





という「考え」を優先しているってこと。


 



本当は〇〇したい





という心が感じてることを無視し続けてきてるんです。





だから、私たち世代は、何となく苦しくて悲しくて、幸せが感じられない人が多いんじゃないかな?






私たちは、「思う」という言葉を使うことで、

「感じること」「考えていること」を曖昧に

して、本当は自分はどう感じているか?ということに鈍感になってる状態なんじゃないかな?






だから「思う」を、

「感じる」

「考える」

置き換えてみると、

自分の本当の願い「感じていること」が見えてくるのではないかな?





そして、思考が自分にどんな制限をかけているのかが見えてくるんじゃないかな?





私ももちろん常識のようなものに縛られてはいたけど、

この、「感じる」と「考える」で自分の「思い」を分別してみたら、

私には、






「どうせこんなものだ。」

「どうせこの程度だ。」






というような"諦め癖""妥協癖"があると分かったんです。









だから、私はこの癖を少しずつ変えてあげたい!






私のこうなりたいという現実的な望みは、まだ何なのか実はまだわかってません。






ただ、もう妥協はしたくない!

これだけは分かりました。






こんな風に、

自分の思いを、

「感じること」

「考えていること」

に区別してみると、本当の自分の望みが見えて来るんじゃないかな?











🩵🩵🩵






❤️❤️❤️





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