世の中は 社会は

私ひとりなどどうでも良くて

一人の人間の 心も悲しみも

存在すらも  認知されてなくて

時間も 日常も 年月も流れ去る。

事件 事故 天災とかがあっても 

何食わぬ顔して 通り過ぎていくばかり。


私は存在しているが

まったく 存在していないと同じ

いわゆる 不存在。

呼吸していようが 止まっていようが

生きていようが 圏外の人。

ポツンと一軒家の人が羨ましいよ。

おーい!

呼べば 谺くらいは返ってくるだろう。

呼べば 不審者 パトカーがやってくる。

拉致 精神科への措置入院になるかもね。


遺族です…を辞めようと思う。

息子の死を あたかも水戸黄門の印籠みたいに

しているようで 利用しているようで。

嫌なんだ。


真実の 深い穴の底の底には

光も届かず 真っ暗闇で覗いてみても

なんにも見えやしない わかりはしないのに

解っているつもりがまかり通る。

自死の遺族の存在すら 不存在。 

集って 語って何になる、


この老体ひとつしか残らぬ

本当に何もかもを喪った 無惨な遺族の心など

誰も知りたくない 見たくないよね。

良いと思うよそれで。

遺族同士だからって 暗いこと悲観的なこと

ネガティブなことに 触れるより

明るくて楽しいこと 愉快なこと求めていいんだから。

これから先を たくさん生きていく人たちには

必要なことだと思うよ。


いまが 潮どきなのかなぁ。