#自己表現と他者治癒 ① 〜親子の葛藤✴︎

「親に感謝しなさい」

は、心理カウンセラーが1番言ってはいけない言葉である。


親に虐待されても、親に感謝しなければいけない…と世間体や道徳心に縛られるがゆえに、感謝できない親不孝な自分を責め続けてそのストレスから病気になり苦しい子ども時代を過ごした人が、大人になってもその後遺症に悩み続け、毎日のようにカウンセリングを受けに来る。 

私も、

親に感謝している自分と、親の支配から逃れたい自分。相反する感情の分裂で、目眩の病気になり10年間コンサート活動を休業することになった。 

教室を設立した当初、母を発表会に招待したとき「こんな技術レベルの低い趣味の生徒を教えるために、あなたを世界的なハープ奏者に育てたんじゃない!私が教育費に投資した1億円を返せ!音大の教授の座を狙え!」 と怒られたので、それ以来、母を発表会に呼ぶことは断固として拒否してきた。


私は、10代からずっとコンクールで賞を取るために競争の音楽をやらされてきて、好きな曲を弾かせてもらえなかった。


次はどのコンクールを受けるかも、どの先生に習うかも、どの国に留学するかも、試験の選曲も、衣装も、すべて母が決めてきた。


プロ演奏家になってからは、母がマネージャー会社の社長だったので、リサイタルのプログラム、演奏曲、演出も、出演料も、スケジュールも、レコード会社も、CDのコンセプトも、すべて母が決めてきた。 

私が、趣味の生徒さん向けの教室を立ち上げたとき「ハープって、すごく楽しい〜!ワクワクしちゃう。こんなキレイな音色を聴くだけで幸せ〜」 と、生徒さんが感謝を伝えてくれた。それを聴いて、私は驚いた。「え?ハープって、楽しいの…?!」と。笑


ハープを純粋に楽しむ生徒さんの姿を見ているうちに、私はだんだん競争のための音楽から卒業して、自分自身もハープを楽しむことが出来るようになっていった。


だから、音大の教授になって、またコンクールで賞を取るための弾き方を学生に教えるトラウマを繰り返すのは、私には向かないと思っていた。 

このあたりの葛藤は、バレリーナ草刈民代さんと役所広司さん主演の映画「Shall We Danse?」にも描かれている。


それでも、今年、母を発表会に招待しようと思ったのは…私の中で目眩治療のために乗り越えなけれいけない試練だと気づいたからだ。


今回も、私の目眩は酷かった。コンサート数日前には、ジェットコースターのように揺れて、ハープを部屋で練習しているだけなのに椅子から転倒しそうになったので…


これは、もう絶体絶命だと思って、本番2日前に師匠にカウンセリングを受けに行った。


催眠療法の一種エンプティーチェアワークをやったら(私もクライエントさんによく使う技法で、病気を起こしているもう1人の自分や、病気の原因となる物と会話することが出来る)


私は、ハープと対話してみた。


ハープは、私に「ごめんね…」と言った。 「私を愛したばっかりに、たくさんの人から嫉妬されて壮絶なイジメに遭ってきたね。私の魅力を普及させようとがんばるあまり、音楽以外の苦労が多すぎるね。かわいそうに…」 と、言って私の中にいるハープは泣いた。


私は、ショックだった。

ハープと共に歩んできて、32年。

ハープは私に感謝してくれると思っていたのに、罪悪感をもっていた。


ハープは、私にこうも言った。 「頭のあなたは、嫉妬される恐怖と罪悪感で目眩が出ていて私を弾きたくない。でも、心のあなたは誰よりも純粋にわたしを愛してくれている。だから、心のあなたが奏でると私は美しく光り輝けるのよ。心のあなたが奏でる音色は、たくさんの人を幸せにできるのよ。」 と。


ハープは、お恥ずかしながら、私が自分の意志で選んだ楽器では無い。生まれた時から家にハープがあり、将来ハープ奏者になる運命は決められていた。


オーケストラのハープ奏者だった母が、自分が叶えられなかった世界的なソリストになる!という夢を託して私にハープをやらせたのが始まりだった。


母は、よくこう宣言していた。 「あなたは、私の作品よ!」 ✴︎ たぶん…

母に感謝できないうちは、ハープに感謝することもできないのかもしれない。

そして、それは世間体や道徳心から来る感謝であっては意味がない。

心の私から自然にあふれ出てくる、本物の感謝でなければ。


だって、私にとって 「ハープ=母」 

なのであるから…。 (続く)

#写真右が母

#写真左が事務スタッフの西川さん