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ハーピストの母と。

東京芸術劇場のコンサートのあと、楽屋にて。

ステージの上から座席に座っている母の顔が見えたので、ひと言「ありがとう」を言おうとして…

不覚にも舞台上で泣いてしまい、お見苦しいところをお見せしてスミマセンでした…(T_T)

母子家庭で一人っ子という環境に育った私にとって、母は私のハープの師匠でもあり所属事務所の社長でもありました。

母との存在は普通の親子関係を超えた密接なものであり、二人三脚で歩んきました。

ハーピストとして成功できたのは、すべて母のおかげだと思っています。

その母に対して、はじめて反抗して家を飛び出したのが6年前。

原因は、私がミヤビメソードという流派を伝承したいと趣味の教室を立ち上げようとしたことでした。

クラシックの世界では、一流アーティストの成功への道筋は、通常はおよそ以下のように考えられています。

①3歳から音楽の英才教育を受ける②名門音大に入学③国内の賞を受賞する④海外で学ぶ⑤世界的な賞を受賞する⑥メジャーCDデビュー⑦国内外でのソロコンサート活動⑧引退後に名門音大の教授としてプロフェッショナルの育成



母は、私が生まれる前からすでにこのプランを練っていました。母が私への音楽教育費にのべ1億円近くかけてくれた、というエピソードは決して過言ではありません。

母の揺るがない信念と強い意志のおかげで、⑦まで順調に進んだものの…

30代前半のこれからという時。一番花盛りでの現役休止および、趣味の教室の経営者に転身という私の決断。

クラシック業界においては、エリートの王道レールから外れる道を私が選んだことに対して、母が激怒したのは当然のことでした。

16歳でデビューして以来、毎月のようにメジャーなコンサートホールでソロリサイタルを行っていた私は、

だんだん客席にハープを学ぶ人が1人か2人しかいないという現実に悩むようになっていたんです。

もちろん、一般のお客様でも感動して応援してくださる方は沢山いらっしゃり、それは大変励みになっていました。

でも、それと同じくらい、ハープが眠い、とか、つまらない、とか苦情をいうお客様も多くいて、友人から券をもらってお義理でコンサートに来てやったとか、知ってる曲が少なくて退屈し夫婦ケンカになった、とか言われることもありました。

技巧的に難しい素晴らしい作品をがんばって練習して、世界的なクオリティーの高さで弾いても一般客に喜ばれないという苦い現実は、どのクラシック演奏家も体験していると思います。

クラシック小ホールの場合、たいてい区や市のような公共機関の助成を受けて開催していますので、売り券で演奏家のギャラが出ている訳ではありません。

だから、主催者側としてはお客様に喜ばれなくてもOKですよ、お客様に媚びず演奏家のやりたい音楽をやってください、と言ってくださいます。

クラシック業界では、音楽とはお客様を喜ばせるためにあるのではなく、無知な大衆に啓蒙を与えるためにある、と考えられているのです。

でも、私の性格上、お客様に喜ばれないステージをやるために血の滲むような努力を続けるのは意味がないのでは?と疑問がふくらんで…

それで、だんだんステージで奇抜な衣装を着たり、トークを増やしたり、派手な照明を入れたり、本当に自分が弾きたい曲よりも一般ウケする曲を選ぶようになっていきました。

それで、お客様は満席となり、拍手喝采で大喜びしてくれるようになった代わりに、今度はホール側や主催者からの苦情がくるようになりました。

ハープは繊細な音色の楽器という性質上、小ホールでのコンサートが適していますが、お客様が喜ぶ演出をやるためには大ホールの予算やスタッフの人数でないと無理があるのです。

照明、音響にかかる費用は数十万以上、スタッフも数十人が必要。

数名のスタッフしかいない小ホールで、その予算を出すことは出来ないというので…

私自身が舞台監督から照明や音響の技術を学んで勉強し、コンサートの前日まで徹夜で台本や進行表を作成し、本番でのリハーサルも弾くことに集中したいのにスタッフとの台本打ち合わせに数時間かかり、朝から飲まず食わずで演奏家と演出家の二役をこなしながら夜本番に臨む日々…

そんな中で、体力の限界がきて身体を壊してしまい精神的にも疲れ果ててしまったんですよね。

ハープでなく、ピアノやバイオリンであれば大ホールで企業スポンサーをつけて華やかなコンサートを…という私の方向性は正しかったと思いますが、ハープで万人ウケするエンターティメントのステージを作ることは困難でした。

しかも、海外で学んできた私の弾き方は、日本の音大のハープ奏法とは180度違っていましたので、日本の音大の教授になるというのは難しいだろうな、と思っていましたし、

東京芸大ハープ科にひと学年1人~3人しか学生がいない現状では、少人数のプロフェッショナルを育成したところでハープ界を大きく変えることは出来ないだろうな、とも思っていました。

それで、残りのアーティスト人生では、ハープを聴く人でなく、ハープを弾く人を増やしたい。

ピアノやバイオリンやギターのように、ハープを趣味で楽しむ数百名の人が興味をもってコンサートに来てくれるような未来をつくれば、ハーピストをめざす若者も私のような理不尽な苦労をしなくて済むだろうな、と。

そして、

趣味のハープ教室を設立したいと考えた理由は、もうひとつありました。

(つづく…)