く本日、新しくウチの子になりましたハープです。
Bardic 27 by camac harps,FRANCE.
人気のチェリー色。来週には目白スタジオに届きますので、生徒のみなさんにもお使いいただけますよ、お楽しみに(*^^*)Camac's new harp,ulysse.
黒い新作ハープは、約73万円とお高め↓
エレキハープとしても使えて、木ではなくカーボン素材で出来ているため軽いそうです。
@miyabimatsuoka:アーティストの原動力となるのは、茂木先生が仰る通り、美しい花びらだけではないと思います。心の奥底に渦巻くフラトレーションが創作意欲を駆り立てる。その棘は、人に向ければ「毒」となり、アートに向ければ「美」となる。
さて、今回は
昨日のTwitterでつぶやいたら…
約120人の方々よりリツイート&お気に入りに登録していただいた言葉をご紹介しますね↓↓
脳科学者の茂木健一郎センセの下記Twitterに共感したので、お応えしたものなんです。
ちなみに、私のCD「ミラクルハープ」の推薦メッセージを書いてくださった茂木センセは、来週初めての小説「東京芸術大学物語」を発表されます。美術学部を舞台にした小説のようです。
@kenichiromogi: 表現は、普通は内面にあるその人の思い、感情をそのままストレートに出すものだと思いがちである。ならば、表現されたものを見ると、その人がわかることになる。一方で、表現には、「毒出し」(デトックス)のような側面もあり、その場合には、出されたものはその人にとって「要らない」ものなのだ。
@kenichiromogi: 表現者は、表現することで「毒出し」して救われるということがあるのだと思う。小説などでも、自分自身の内面にあるいろいろとやっかいなこと、面倒なことが、表現することですっきりして、救われる。読者の中にもそれに呼応する何かがあるから、読んで、魂が救済される。それが傑作となる。
うちのハープ教室の生徒さん達も、
「会社や家庭で嫌なコト、イライラがあると楽しくハープを弾く気分にならないので練習できないんです…」
と言う人が多い。
その気持ち、よく分かります。
ケンカしたあとにハープ弾く気にはならんよね。
私も同じです。
でも、
そうゆうときこそ、ハープを弾いてみてください。
怒り、悲しみ、理不尽なコトへのフラストレーション。
ドロドロした気持ちを隠さず、
ぜんぶ遠慮なくハープにぶつけちゃってください。
どうせいい子ぶっても、ハープはぜんぶお見通しなんですから。
最初は荒れた音で練習に集中できずとも、1時間もすれば雑念が消えて心が整ってくるはず。
ハープには、「毒」を「美」に浄化する作用があるので、あなたの悲しみを消してくれます。
光合成する植物と同じて、
ハープは人の悪い気を吸い取っても
また自ら澄んだ空気を生み出す力があるの。
人間より、遥かに包容力があるのですね。
人間に相談するより、ハープに相談するほうが良い答えがでるときが多いですよ(笑)
モヤモヤを、
まわりの人にぶつけると迷惑かけるし。
じぶんで抱えこむと病気になるし。
演出家の宮本亜門さんが、
以前この様な事をおっしゃっていました。
「役者は恵まれた環境に育った人より、不幸な環境で育った人のほうが凄みのある演技ができる傾向にある。大勢の観客の前で自己を訴える仕事には緊張感が付き纏い、並々ならぬエネルギーがいる。フラストレーションが表現を爆発させる原動力となるのでしょう。」
私にとってのフラストレーション(欲求不満)は、何と言ってもハープがマイナーな楽器であること。
存在そのものが世間に認められていないという事実は、資本主義社会においては大変生き辛いものです。
人の何十倍もの努力をして、やっと少し陽の目を浴びる程度でしょう。
ハープに全く興味がない人には、どんな誠意をもって話しをしても自分の本質は理解してもらえませんが、教室の外では大抵そのような侘びしさを感じます。
私は音楽家の中ではメディア活動を華やかにさせてもらっているほうで有り難いんですけれども、
それでもマスコミはハープの技術には元々興味がない(=視聴率がとれないから)。
私が大人になるまで山の手線丸いって知らなかったエピソードやファーストキスは何歳だった、という話題は、全国放送のゴールデンタイムでテレビ放映されて、スポーツ紙のカラー面を飾るのに、
世界的にみても画期的なハープの新しい技術を発見した話題は、無視されるか編集でカットされるか…(苦笑)
ハープに癒し効果があるという音楽療法の話題なんかは、高齢化社会対策としてニュースで取り上げても良いと思いますけど、「音楽療法の話は効果が目に見えないし視聴者からクレームがくると困るので言わないでください。お母さんのスパルタ教育の話題のほうが面白いからそちらをメインに台本つくります。」とメディアでは釘をさされる事も多い。
まぁ、売れてる芸術家はみんなそうだと思うけど、ある地点で自分のやりたい事やプライドを捨てて、社会に妥協していく知恵を覚える。
東京芸大を卒業して商業ベースに乗れる人は、10年に1人と言われている。(10人に1人じゃないのよ!年単位。)
実力があったとしても売れないのは、社会のニーズに合わせて自分を変えてゆく(曲げてゆく)ことが出来ないからなのね。
今、教育者の立場になって若い音大生達にそれを指導するんだけど、言われても分からないのね。
なぜなら、社会のニーズに応えるためには、まず社会を知らないといけないんだけど、家にこもってオタクさながらの練習ばかりしてる音大生に社会を知る機会はやってこない。
じゃあ、社会を知るために動くとどうなるかというと、外に出掛けるので練習ができない。つまり、大衆のレベルに合わせてある程度(素人には分からない程度に)技術の向上を捨てることを意味するのね。
世間と上手く付きあってお金を稼ぐっていうことは、自分に対して嘘をつけるようになることかもしれない。
ピュアな自分を核として残しつつ、したたかに武装していく術を後輩達に教えながら複雑な気持ちになります。
東京芸術大学出身の有名人122名の欄に掲載されてるよってマネージャーに言われて、俳優や画家や建築家に交じって「ハープ奏者 松岡みやび」と職業が記入されていたのを見たときに、
なんだかプライドを捨ててがむしゃらに仕事をこなしてきた自分へのご褒美を頂いたという変なプライドが芽生えましたが。笑。
(UNIQLOやdocomoやSMAPなどを大ヒット商品に導く、アートディレクターの佐藤可士和さんが、これと同じ論理をプロフェッショナルの流儀でお話しになられてましたね。)
社会のニーズに応えて自分を変えていってるうちに何がやりたいか自分の本質がよくわからなくなっちゃった時期が30代だったんだけど、40代になってからは相手によってブレない自分と、相手によって流されて変わってゆく2人の自分を楽しめるようになってきたかな。
いずれにしても、
ハープの魅力を直球勝負でいつの日か必ず一般社会に伝えてみせる。という悔しい想いが、
30年間ハープに没頭しても、いっこうに尽きることのないマグマのように渦巻くエネルギーとなって創作意欲を駆り立てているように感じます。
「癒し」
というワードの奥に潜むのは、
決して穏やかな綺麗事ではない。
生きていくうえで、誰もが抱えていかなければならないネガティヴな感情。
その代弁者としてアーティストが美しく表現してくれるゆえ、共感し、感動し、涙する。
悲しみが核にない芸術というのは、
人を真に感動させられるのかなぁ?
悲しみを経験しない人に、
人の悲しみを癒す力はあるのかなぁ?
悲しみの種類は人それぞれ違うんだけど、
中身は何でもいいんですよ。
「死に向かって精一杯生きる」ということそのものが、
我々生き物に与えられた共通の悲しみであり、共通の愛であるのだから。
たくさんの方々から反響のあったフラストレーションの問題。
人間だもの、
生きていれば毎日嫌なコトありますよね。
それを
人にぶつけずに、
アートにぶつけてみてください。
きっと
「毒」から「美」へと
浄化してくれるはずですよ(=゚ω゚)ノ