トラッド目白の二階に面白いお店を発見!!
趣味の切手、コインの店「エスケースタンプ」
当時はもっと輝いてたんだろうな。
道行く人々が「これ、買って転売したら儲かんのかなぁ? 」とか言って足早に通り過ぎてたけど、
いやいや、お金の問題じゃないんだよねー(汗)
こうゆうのは、歴史に想いを馳せるファンタジーグッズですよ。
今の10円玉も未来の日本では100万円くらいの価値になるかもしれない。その頃、日本はどんな国になってるんだろうなぁ…?車が空を飛んで、カプセルの中で暮らして、宇宙人みたいなファッションになってるんだろうか?スマホやパソコンの進歩は半端ないんだろうなぁ。たぶん、手を使わなくてもメールができるはず。ハープは一家に一台普及してんのかな?その頃から振り返った平成の世の中はどんな時代に写るんだろうなぁ…?
愛知万博は、私にとって転機になった想い出がある。
記念イベントとして私も参加させてもらって、ウィーンフィルメンバーとモーツアルト「フルートとハープのための協奏曲」を共演。東京国際フェーラム、大阪フェスティバルホール、名古屋レインボーホールをまわった。
最終日は愛知万博の本拠地、名古屋レインボーホールで盛大に行われた。TOYOTAの会長もお越しのなか、7,000席もあるドーム型のホールは満席となりハープが巨大スクリーンに映し出される形で演奏して、演奏会はテレビ中継もされた。前日SMAPのライブが同じ会場であったと聞いてビックリしたし、コンサートホールじゃなくて武道館みたいな雰囲気でワクワクした。
世界一美しいと賞賛されるウィーンフィルの、コンサートマスター(シュトイデ氏のバイオリン)や首席フルート奏者(故・シュルツ氏)をはじめクラリネットもコントラバスも一流奏者が集まり今まで聴いたことのない本当に美しい音色だった。
まるで、天国のお花畑で羽が生えた天使がふわふわ浮いているような、音。
移動バスの中で、ウィーンフィルメンバーに美しい音色の秘訣を聞いてみたら「happy&relaxを心がけている。日本人演奏家は力を入れて真面目に弾きすぎる。」
という答えが返って来た。
「君のハープは日本の弾き方じゃないね。我々と音の出し方がとても似ていて素晴らしい。」
とも言ってくれた。最高級の賛辞ですよねー^ ^
このとき、まだミヤビメソードという名前も形もなかったし、自分のスタイルは皆とは違う特殊なものでダメなのだろうかと悩んでいた。
でも、このとき、もしかしたら自分の習得した技術は日本で広めていくべき貴重なものなのかもしれないと確信した。28歳のときだった。
「そして、松岡は教本を作り始めた。」
「10年の歳月が流れた。」
「今では多くの人々がその技術を楽しむ世の中になった。」
「しかし、愛知万博での出来事はもはや歴史の1ページに過ぎないと松岡は言う。」
「我々は常に未来に向かって生きていかなくてはいけないのだ。」
↑プロフェッショナル仕事の流儀風の口調で妄想(笑)まぁ、大げさだわな…(-。-;
うちの母の叔父が亡くなった後に勲章をいただき、母が受賞式に出席したことがあったそうだ。
母の叔父はアメリカに暮らし日系人会会長をしていて、総理大臣が訪米した際にお伴をしたり、日米友好のために尽力したらしい。
母の叔父は、日本に帰国したとき母にナイフとフォークの使い方やクラシック音楽の素晴らしさを教えたので、田舎の田んぼで育った女学生だった母は西洋の楽器ハープに憧れたらしい。
そんな小さな出来事も、脈々と今の私に受け継がれ、またそれが生徒さん達に受け継がれて歴史はつくられてゆきます。
オリンピック記念硬貨。
地方自治体のそれぞれの特徴がでていて興味深いですよね。
ミヤビメソード支部教室が47都道府県すべてに誕生するのが今のわたしの夢。
うーん、還暦までには実現したいなぁ(笑)