この夏は大好きなクドカンの

世界初爆笑地獄コメディ映画

TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』を観て、めっちゃ笑いました笑い泣き

地獄専属ロックバンド<地獄図(ヘルズ)>のライブに行ってみたい!(笑)

 


現政権になってから

新聞やテレビなど大手メディアで政権批判をすると

圧力を加えられるようになり

委縮したメディアの自主規制も相まって

大本営発表ばかりが垂れ流されて

あっという間に報道の自由度ランキングで

世界ランク72位にまで下落した我が国ですが

このランキングが絶対的に正しいともいえないけれど

地獄をコメディとして描くような

宗教的自由さはまだあると思うと少し安心しますね

 


最近は読んでないですが

ブッダとイエスの東京・立川での下界バカンスを描いたマンガ

聖☆おにいさん』とかすごく面白くてめちゃめちゃ笑ったけど

欧米社会ではキリスト教をコメディにするとか

すぐに宗教問題に発展しそうで難しそうだけど

こういう漫画が出版されて人気が出るのが

日本の面白さだったり良さだと個人的には思うので

いつまでも一神教的な排他主義には染まらないで

緩やかであることを願います

 


他人と語ってはいけない話題として

“政治・宗教・スポーツ”とはよく言われることですが

それらに対する主義主張や思想や信仰が違えば

お互い相容れないくらい

個々人の価値観やアイデンティティーに

関わる大切な要素だからであって

でもだからこそ、解り合えなくても

語り合うことはとても大切だと思います

 


根源に関わる問題こそ

大いに語るべきだし

個人的に語ることも

お互いに語り合うことも

自由さは保障されるべきだと考えます

 

 

学生の頃はぼんやりと

日本って資本主義国家なんだと思っていたけれど

実際、成人して社会に出てみれば

日本は社会主義に近いなーというのが実感としてありましたが

良くも悪くも一億総中流な豊かさがあったのに

望む望まないにかかわらず

グローバリズムという名の現代の植民地化の波が押し寄せて

あの頃にはなかった自由や手軽さが増えた分

あっという間にそんな中流社会も崩れ去り

今では格差や貧困が日常的な問題の社会になりました

 


資本主義も共産主義も結局は同じ

民主主義が正しいとも思わないけど

私は全体主義ほど嫌いなものはないので

この頃は「平和」を訴えるだけで

取り調べられるような動きになってきてるのに

秋には「共謀罪」を「テロ等準備罪」と名前をかえて

成立させようという動きには

そんな世界は本当に怖ろしいです

 

 

子供の頃は8月といえば

平和について考える月と決まっていて

新聞でもテレビでも大々的に

戦争と平和に関する特集が組まれていたはずなのに

この数年、段々と減ってきましたよね。。。

 


逆に、戦争を美化したり肯定したような

エンタメ映画が盛んだったり

なぜか急に広島の原爆資料館から

しかも多くの人が反対しているのに

写真や被爆人形の展示を取り止めることになったり

そのことについて色んな理由を説明してますが

本当は原発の問題も絡んで

おそらく核の実態を

なるべく見せなくするための動きだろうと推測してます

 

 

小学生だった頃、夏休みに旅行で広島に行った時

立ち寄った原爆資料館は

確かにトラウマになるほど怖くて

今でも映像が脳裏にこびりついてますが

そのための資料館であり

大人になった今だからこそ

やはり子供の頃に行っておいてよかったと思えるし

大人になったら頑張ってバイトしてでも

ディズニーランドやUSJには行くけど

原爆資料館なんて、わざわざ行く人は少ないのだから

私は学校からは行かなかったので

こういう場所こそ、学校行事として

必ず行くべきじゃないかと思います

 

 

小6の夏休み

宿題だった作文の発表で

まるでアメリカ人のように

「原爆のおかげで日本は戦争を終結することができてよかった」

と書いていたクラスメイトにとてもショックを受け

驚いたことを今でも忘れません

もしかして、親が書いたり指導したのかもしれませんが

自分には全くなかった視点だったし

原爆資料館に行ったことのある私には

まるで浮かばない発想でした

 

 

そして、この友人の作文を優れているとして

クラスで発表させた教師は

この思想を支持していたのだろうし

夏休みの宿題に日本国憲法の前文を

暗記させたりしていたことを思うと

もしかして日教組の人だったのかもしれませんが

私はこの先生が嫌いだったので

子供にとって担任の先生というのは

独裁国家における独裁者のようなものなので

とても居心地が悪かったし

子供の頃はうまく言葉にできなくて

もやもやしてましたが

ヒロシマはジェノサイドであり

どんな理由があろうと許されることではない

人道に対する罪

人類の平和と安全に対する罪であることは自明の理であり

 

大人になってからは

戦争とは関係のない人体実験だったことや

それもウラン型プルトニウム型の2種類を試すために

広島と長崎に原爆を落とすことが必要だったことや

大戦後、核保有国が世界を支配するための

また世界に向けて核ビジネスのための宣伝をかねていたことなど

広島と長崎の場所を指定したのが

日本側だったなんて話まであって

色んな情報や説を見たり読んだり知ったりするにつけ

歴史は勝者によってつくられるの言葉通り

戦争というものの複雑さを

正しい歴史というものを

学校では教えてくれないのだなと

ますます学校教育が好きじゃなくなりました

 

 


近年の知性も品性も理性も羞恥心も感じられない右傾化は

戦後、反戦・左翼・自虐史観な歴史教育が

行き過ぎた反動もあるのかもしれませんが

この数年で読んだ報道系記事の中で
一番印象深かったのは『火垂るの墓』で有名な高畑 勲監督の

私たち日本人の体質は戦前から何も変わっていない との言葉です

 

 

おそらく高畑監督は思想的には左よりでしょうけど

戦争を知る世代が語る「非国民」という言葉は

誰が誰に向って言うものなのかという話には

すごく説得力があって

グローバリズムだ国際化社会だなんだいっても

全体主義的で

同調圧力に弱いという性質は相変わらずだし

私は子供の頃からこの2つが大嫌いなので

本当に日本人の体質は戦前とまるで同じだなと

すごくハッとさせられるものがありました

 


今では米国の自作自演だったと

多くの人に認識されている9.11事件のあと

友人に会いにNYを訪れた時

ワールドトレードセンター跡地「グラウンド・ゼロ」に行ってみましたが

マンハッタンの摩天楼の中

ぽっかり空いた地面を見ても

どこで読んだか忘れたけれど

「本当のグラウンドゼロはヒロシマ・ナガサキだ」

との言葉が思い起こされました

 

 

戦争はある日突然起こるのではなく

用意周到に

じわじわと進むものであり

メディアや情報というものは

コントロールされていることや

また戦争は正義のためではなく

経済やビジネスでもあって

戦争を必要としている勢力によって

偽旗作戦による自作自演のテロや攻撃により

引き起こされるものだということは

歴史を振り返れば歴然とした事実であり

そういったことを何も知らない人が多すぎるのは

戦後教育のゆがみや

現代を生きるために一番大切な

明治維新以降の近代・現代史を

学ばない(教えてもらわない)からだと思いますが

 

普段、何も意識せず

独立主権国家に住んでいるような気になっていますが

まぎれもなくこの国はアメリカの植民地国であり

今も敗戦国に暮らしているのであって

オリンピックで活躍しているアスリートたちは

本当に尊敬するし素晴らしいと思うけど

もともとスポーツにあまり関心がないうえ

昨今の政治とカネの匂いしかしない

オリンピックには興味が持てず

この夏も一度も見ないまま終わりましたが

華やかなオリンピックのかげで

沖縄・高江で進行しつつある問題が

大きく報道されることはなかったように

きっと、2020年に向けて

今後も色んなことが起こされるのでしょう

 

 

グローバリズム化が加速する中

搾取されつつ搾取する側でもある私たちの社会は

政治も経済もあきらかに行き詰っていて

大きな転換期を迎えているように思います

 


人間は一皮むけばただの醜い獣で

衣食足りて礼節を知るとは正しい言葉だと思うので

衣食足りた生活ができたら

贅沢できなくてもいいので

すべての人が衣食住に足る生活をするために

自分たちが搾取されているなら

我慢もできるけど

その搾取された税金や賃金や年金や資産が

宗主国の戦争費用に使われているような

間接的に人殺しの加担をし

不幸な人々を増やすためだなんて我慢できません

 

 

右とか左とか

保守や革新や関係なく

様々な意見や見解を学んだり知ったりすることは大切ですが

単純に考えた時

この世界に暮らすほぼすべての人が

戦争なんて望んでいないし

平和を求めているはずなのに

なぜこの世界から戦争がなくならないのか?

 


ほんの1%ほどの人が戦争を望み

それを実行するだけの

権力と資金とを持っているからに違いないです

立場や権力だけあっても

莫大なお金がないと戦争なんてできません

平和を考えるなら

その資金は誰が、どこから、どうやって、調達しているのか

そもそもお金とは

紙幣というものが何なのか

結局、そのことを考えなければいけないのではないかと思います

 

 

この世は矛盾と欺瞞と偽善に満ち溢れているけれど

人間が生きている限り

この世界から争いがなくなることはないだろうけど

人を殺めたら罪に問われるのに

戦争が犯罪ではないなんて矛盾は是正されるべきでしょう

 


争いは不可避だとしても

いつかこの世から

戦争という手段が禁止される世界が

実現できたら素晴らしいなと思います

 

 

戦争も医療もなんだって

権力が関わる権力犯罪で

命も財産も生活もすべて犠牲になるのは

いつだって庶民なのだから

そして、その罪は問われず

私たちは簡単に見捨てられるのだから

この世の99%の人が一斉にNO!と言えば

世界は一夜にして変わるはずじゃないかと

理想・夢想・妄想かもしれないけれど

夢見ずにはいられません

 


現在進行形のイラクやチベットなどの国々をはじめ

今も平和の訪れない沖縄や

何かあれば昔も今も

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと同じく

棄民政策よろしく

切り捨てられるのは私たち庶民なので

無知は罪なり

知は空虚なり

の言葉を戒めに

歴史は繰り返すの言葉通り

今、繰り返されつつある歴史の中にいることを

いつか本当にあった怖い話として語らなくていいように

『この世界の片隅に』暮らしている者として

意識しながら日々生きていたいと思います

 

 

 

 

 

 

 

こうの史代 『夕凪の街 桜の国』

普通の日常を送る女性の視点から描かれたヒロシマのお話
生きることは罪なのか?
市井の人々にとっての戦争・戦後を
過去と現在を繋いで描いた表現が新鮮で素晴らしい
戦争でなくても災害や事故で
生き残った人の抱える苦しみは同じではないでしょうか?
夏になれば、いつも読み返します
すべての人にぜひ読んで欲しい名作です

 

 

 

 

 


同じく「戦争と広島」がテーマの
こうの史代 『この世界の片隅に』
アニメ映画化されてこの秋に公開されます
原作が好きなので映画がとても楽しみです
広島は私にとってふるさとでもあり
たくさんの思い出がある大切な場所なので
映画で広島弁を聞くことができるのも楽しみのひとつです