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minne雅 、Net shop Miyabi 

そしてACCO COOKを主宰しているひだあつこと申します。

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18.なんや!!

サ高住に着くと、看護主任が、いつものように車椅子を押してタクシーまで迎えに来てくれた。
「しげこさ~ん、待ってたよ~」とスタッフのみなさんが声をかけてくれるとすぐに母に笑顔が戻った。

私はコンビニで買ったプリンを運転手さんに了解を得て、タクシーの中で母に食べさせていた。
そのプリンを看護主任に見せ「半分食べた」と言うと「それ、全部食べさせよか」と言い、母のいる食堂に持って行ってくれた。

気が付くと、殆どの入居者さんが私に話しかけてくれる様になっていた。「おかえり」、「けぇへんかったから、心配してたんやで」と声をかけてくれた。

私はスタッフルームのスタッフさんに保険証を返し、話をしていたら、母の食事の介助を他の看護師さんに頼んだ、看護主任が戻ってきて、私の両肩を持って、正面から、「今日は、私達に任せて帰り。帰ってゆっくり寝なさい。大丈夫やから。」と私に言った。私は「そんなに疲れた顔してる?」と聞いたら「クマ50ぴきずつぐらい居てる。」と言うので、私は「それは怖すぎるな。じゃ、お言葉に甘えて。お願いします。」と言い、帰らせて貰った。

次の日、母のせん妄は戻っていた。母は、食事の介助をしてくれている看護師さんを叩きながら、「おまえなぁ。」「なにしてくれるねん。」「覚えとけよ。」などどわめいていた。私が「申し訳ない。ごめんね。」と言うと「気にせんでもいいよ。叩かれても私らは、食べてくれたらそれでいいねん。」と青アザでもできるんじゃないかと思うくらい叩かれて、、いや、グーで殴られても怒ることなく、グーをよけながら、そして母がベーっと食べ物を出してもスタッフ全員、怒ることなく穏やかな表情で、接してくれた。私は本当に頭が下がると同時に感謝の気持ちでいっぱいになった。
そんな時、医師と看護主任に呼ばれた。それは、母のこれから先のことで、看とり(医療行為など何もせず、見守る)か、延命治療(何らかの医療行為をする)か、どちらかを選ばなければならなかった。
私は、延命治療をすると本人が苦しむことがあることを知っていた。
私は、少し考え、『叔母に相談します』と言おうと思ったが、たぶん叔母も私と同じことを言うだろうと思い、「看とりで。」と言うと、看護主任が「今でなくても持って帰って考えてもいいんよ。」と言ったが、私は「大丈夫。考えてたことやから。」と言い、書類に書かれた『看とり』に丸をして、サインした。
自分ではなく、人の、まして母の命の選択が、どれほど難しく、嫌なものか。でも、私しかこの選択はできないし、他の人にはさせたくない。だから、後悔もしない。そう強く心に思った。

私が小学生の頃、母が大きな喘息の発作を幾度か起こし、酸素吸収をするたびに『母は、死なない。私の親は死ぬわけがない』と思い続けていた。そのせいか、大人になった今でも『親は死なない』と思う自分がいる。でもその傍らで、人間には、寿命がある。それに逆らってはいけない。と思う自分もいた。

退院から1か月が経った12月、母は、ベッドの上で寝ていることが多くなり、殆ど何も口にしなくなったので、口から摂取できる総合栄養剤が処方された。最初は飲んでいたが、半分飲むか飲まないかになった時、看護主任が、私に「お願いがある。点滴させて貰われへんやろか。看とりって書いて貰ったのは承知してる。でも私が、諦められへんねん。」と言うので、「母が痛いとか苦しいとかなければ、思うようにしてもらって、大丈夫。ありがとう。」と私は言った。点滴をしてもらった母は、車椅子に乗ることもでき、口から物が食べられるくらい回復した。

サ高住の食事は、食べてくれればと思い、毎回、出して貰っていたが、食べなかったので、私は毎日、果物のジュレやピューレ、プリンやあんこを作り、サ高住に運び、母に食べさせて貰った。
私が作ったものは、全て瓶に入れ、食堂の巨大冷蔵庫の中の『しげこさん』と書かれたブースに日時と内容、賞味期限を書いて並べていた。

年が明け、点滴から、1か月後
母は、とろとろのあんこしか食べなくなり、「これ、あんこ?甘くない。」と言ったので、私はかなり甘いおしるこを作り、とろみをつけて、持って行った。それも「甘くない。」と言うようになった。

私は人間、最後は甘味しか感じなくなることを知っていた。

1月も終わろうとしていたある日、午前7時にスマホが振動した。いつからか私は、スマホを握ったまま、寝るのが癖になっていた。
見るとサ高住からだった。私は慌てて電話に出ると看護主任が「しげこさんがおかしい。」と言ったので「すぐ行く。」と言い、息子に「ばばちゃん。もしかしたら。もしかしたらやけど。」と言うと「わかった。気ぃつけて行き。飛ばしたらあかんで」。

母の居室に入ると看護主任とヘルパーさんがいた。「どう?」と聞くと「下顎(かがく)呼吸、血圧も下がってきてる」と言った。私は、母の手を握った。看護主任が「ちょこちょこ見に来る。」と言い、ヘルパーさんと一緒に部屋から出ていった。
私は母に寄り添い、母の手を握り続けた。お昼をまわった頃、母の目が開いた。「母、しんどないか?」と聞いたが返事はない。また、目を閉じようとしたので、私は「母ぁ。」と呼びながら、握った手を振った。目を閉じてしまうと永遠に開かないような気がしたからだ。母の手を握り、振り続けて1時間以上経った時、「母ぁ、起きてよ。」と呼ぶと突然、母は「なんや!!」と大きな声で言った。『起きてる!』と私は安堵したが、その声が、私が聞いた最後の母の声になった。

母は、死前喘鳴(しぜんぜんめい)が強くなったり、呼吸そのものが弱くなったりしていた。
物凄く苦しそうな呼吸だが、本人にとっては、この呼吸が1番楽なことは知っていた。「大丈夫やで。必死に生きようとしてるねん。」と看護主任は言った。
夕方近くになり、看護主任が「今夜かな・・ここ、泊まる?」と私に聞くので、「泊まってもいいの?」と言うと「エアで膨らますマットがあるから、持ってくるわ。」と言うので、私は「ちょっと1回、家に帰ってくる。お願いします。」と言うと「わかった。ここにいてる。」と言ってくれた。私は何故か、一度、家に帰りたいと思った。
私が車に乗ろうとした時、息子から電話がかかってきた。
「今、近くにおるんやけど、ばばちゃんどぉ?」。私は「今夜かもしれないって言われたからここに泊まる。今、一度、家に帰ろうと思ってるとこ」と言い、電話を切った。
私は、家に何を取りに帰ろうとしているのか考えながら、車を走らせた。
10分、走っただろうか・・ふいにスマホを見ると何回も着信の表示が出ていた。私は車を停め、電話をかけ直すと「しげこさんの呼吸が弱くなってきてるから、すぐ戻って」。
私はUターンしようと思ったが、Uターンできるところがない。次の交差点で引き返そう。そう思った瞬間、涙がこぼれ落ちた。ふいに時計を見ると午後4時20分。(父の誕生日は4月20日)
私は、『母、逝ったんか・・父、呼びに来んといてよ。2人とも、何で待っててくれへんの』と心の中で叫んだ。車を停め息子に電話した。「ばばちゃんが亡くなった。」。「え?すぐ行く」。

サ高住の駐車場に車を停め、中に入るとスタッフさんが、玄関を開けてくれ、「たった今」と言ううつむき加減のその目は、真っ赤だった。
部屋に入ると看護主任、看護師さん、ケアマネさん、スタッフさん、8人もの方が母に寄り添ってくれていた。
私は看護主任に「ちゃんと寝かせてくれたんやね。苦しまなかった?」と聞くと「全然。すーっと眠るようやったよ。」と言うので「よかった。皆さんのおかげやわ。ありがとう」と言い母に「何で待っててくれへんかったん。」と言うと看護主任が「あつこさんには見せたくなかったんやわ。」と言われた時、涙がこぼれ落ちた。
私にティッシュを渡してくれる人、背中をさすってくれる人がいて、「本当にいい方達に看取って貰えたし、寂しがりやの母が、たくさんの人に囲まれて、ほんまに幸せやったと思う。ありがとう。」と言ってみなさんを見ると肩を震わせて泣いてくれていた。
「自分の母を送れなかったから、しげこさんを送れて嬉しいわ。しげこさんは面倒見のいいみんなのお母さんみたいな存在やったもんね。」とケアマネさんは言った。

次は19.最終回、みんなありがとうです。
無許可の転載、複製、改変はご遠慮ください。
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レッスン、ケータリングの詳細は
Menùの1番下にございます。
そして、私が使っている食材の一部のご紹介は1番下にありますので、参考になさってくださいね。

ご予約、ご相談、お問い合わせ、
お待ちしておりますラブラブ
miyabimaholove@gmail.com

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Menù

野菜の花壇と赤米ソース
(Aiuola vegetale con salsa di riso rosso)

パートフィロに包まれて


牛薄切り肉のケッカソース
(Tagliata sottile di manzo con salsa al basilico)

真鯛と蒸しネギ
(Orata e cipolle verdi al vapore)


ガレット・デ・ロワ(ACCO風)

チョコレートトルテ

2024年のレッスン&ケータリングは、1月15日から開催いたします。
レッスン日は、設けておりません。ご都合の良い日(ご希望日)を2日か3日、お知らせください。
その中から選ばせて頂きます。
(開催時間は11:30~14:30です)
ご予約はご希望日の14日前までにお願いいたします。
メニューは、お肉かお魚かをお知らせ頂くと折り返し、2種類のメニューをご提案させて頂きますので、お選び頂いてからの開催となります。

レシピ本のお料理のレッスンは
材料費+1000円になります。
必ず2名様以上でのご予約をお願いします。 

レッスンについて
※レッスンは単発レッスン(1回完結)です。
※1メニューかコースかお選び頂けます。
※レッスン料は
・1メニュー 一律3300yen
(パートフィロのみ+1100yen)
・コース(前菜、メイン、デザート) 11000yen
※ご予約は2週間前までにお願いいたします。


ケータリングについて
※和食、イタリアン、ヴィーガンなどご希望のものをご予算に応じてご相談頂けます。
※料金は、材料費と交通費と1000yen×ご参加人数を頂いております。
※ご予約は1か月前までにお願いいたします。

※アレルギーのある方は事前にお知らせください。ご予約後の対応はいたしかねます。

身体に害を与えないものを食べることと思いっきり笑うことは、最高に身体が喜ぶことです。
さぁ、ACCO COOKで
心も身体も元気になりましょう


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miyabimaholove@gmail.com


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