数日前、大学2年目のフランス語の授業で「話法の転換」の学習をした時、大体の学生さんは一応理解したようだったが、一人の学生さんから「全然わかりません!」と言われた。英語の場合とそう変わらないのだけれど、、と思いつつ、以前ブログに書いた文章のことを思い出し、少し書き直してみた。(太鼓の要素は削りました笑)これを読んでもらったところで、その学生さんの文法拒絶症に即効性はないかもしれないけれど、少しは役に立たないでしょうか。
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文法は魔法の杖!
先日、私が文法好きになった原因についてピンとひらめいた。「文法が好き」と言うと変人扱いされるが、フランス語や英語で書かれた難解な文章を、文法の規則を当てはめて考え、筆者の意図することが明確にわかった時の快感はなんとも言えない。そんな時は「文法ってなんて素晴らしいの!」という気持ちになる。とはいえ、語学を勉強し始めた最初から文法が好きだったわけではない。身体が弱かった私は、中高時代1年の約3分の1は学校を欠席していて、決して成績の良い生徒ではなく、文法も好きとか嫌いとかの対象ではなかった。
高2の冬、長期欠席をした私は年間の出席数が足りず、各教科の先生から補習課題を出された。英文法の先生からは「話法の転換」の項目に関する膨大な量の問題プリントを与えられた。「話法の転換」とは、「◯◯が××と言った」と言う場合、言った文章をそのまま伝える直接話法と客観的に伝える間接話法との書き換えのことで、人称、動詞の時制、時や場所を表す言葉などを変えなければならない、ややこしいあれである。問題を解こうとしても全くわからず、先生に質問しに行こうかと考えたが、その先生の授業は分厚い文法書をひたすら読むのがメインで、生徒にとってはおねんねタイム、私も例外ではなかった。先生に質問に行っても分かり易い説明は期待できないと考えた私は、図書館で何冊か文法書を借りて、ああでもないこうでもないと自分で考えながら問題を解いていった。すると、最初はちんぷんかんぷんだった文章たちが、実は整然としていることがわかり、規則性が見えてきた。「話法の転換」以外の項目についても、それまで釈然としていなかったことが明らかになってきた。やっているうちにどんどん楽しくなった私は、問題を解き終わる頃にはすっかり文法の魅力にはまっていた。
大学で本格的にフランス語を勉強し始めると、「明晰ならざるものフランス語にあらず」と言われるフランス語の文法にさらに魅了された。大学4年の時に大学院生だった我が夫と知り合ったのだが、文法の話が楽しくできる初めての異性だったことが、結婚を決めた理由の一つかもしれないほどである。そして、息子が生まれて言葉を覚え始めた時、夫が冗談半分に「ぶんぽー」と言ったら、息子が上手に「ぶんぽー」と繰り返した。双方の親からは「変な言葉を教えて…」と呆れられたが、「ぶんぽー」は「ママ」「マンマ」「パパ」「ブーブー」に次いで息子が5番目に覚えた言葉である。その息子は残念ながら、まだ文法の魅力には目覚めていないようだが …
というわけで、これまで漠然と「話法の転換」が私を文法好きにさせた原因だと思っていたのだが、先日、そうではないことに突然気づいた。項目は「関係代名詞」でも「仮定法」でも何でもよかったのだ。私が文法好きになったのは、それは、自分から知りたいと望んで勉強したからに他ならない。よく言われる言葉を使うなら、受動的ではなく、能動的になったからと言うことができるだろう。きっかけは確かに必要に迫られてではあったが、教えられてではなく、自ら学んだことで、景色の見え方が全く変わった。同じことをしていても、意識の持ち方次第で、その内実が全く異なることを、身をもって体験した衝撃的な出来事だった。
そして教師になった今、語学を教えていると必ず「文法は苦手」とか「文法は嫌い」と言う生徒さんがいる。わからないではないが、なんてもったいないのだろう。文法はいわば魔法の杖!一見訳のわからない文章も、文法力と語彙力があれば、大抵は氷が溶けるように読み解くことができる。そして、文法の裏打ちがなければ、正しい文章を書いたり話したりすることもできない。一方、教えている中で文法の魅力に気づいてくれる人もいる。最初は語学が苦手だったのが、文法を克服することでどんどん上達する人も少なくない。中には、私が気づかなかったようなことに疑問を持ったり指摘したりする人も現れて、嬉しい限りである。これからも、たとえ嫌がられようとも、文法の魅力を伝えられるよう邁進していきたいと思う今日この頃である(笑)