夕刊を読んでいると、
こんな記事がありました。

電車のドアを開けっ放しにしないで
車内の空調効果を保つため、
JR東日本は東海道線の始発駅の
東京、品川、小田原など五駅で、
出発前の電車のドアを
乗客がボタンを押して開閉する方式の
運用を始めた。
滋賀全力中年

東京駅では電車がホームに入ってから
出発まで約十分間
ドアが開いたままになり、
「冷房の効きが悪い」との苦情が
客から寄せられていた。

ホームのアナウンスで
ドアの開閉を客に呼び掛け、
発車一分前には乗り遅れを防ぐため
車掌 が全てのドアを開ける。
東京、品川両駅は混雑の時間帯を避けて
始発から午後三時まで、
残る三駅は終日の運用で
年間を通じて実施するという。

今後、ほかの駅や路線に
拡大するか検討する。
JR東の担当者は「不便を掛けるが、
快適な車内にするため
協力してほしい」と話している。
滋賀全力中年

このところ大阪に行くことが増え、
JRの幹線や阪急電車に乗ると
ドアが勝手に開閉することから
驚くことがしばしばありました。
かつては阪神間や東京に住んでいたから
そんなものは当たり前でしたが、
何にも知らないままローカル線に乗って
駅に着いたのに
いつまでも開かないドアの前で
ボケーッと待っていた私を見るに見かねて
発車間際に知らないおばさんが
開けてくれたことがありました。

滋賀に来てからは
ほとんど電車に乗ることもなかったから
何て不便なところだと
思っていたもんですが、
あるもう吹雪の日のことでした。
駅に着いて乗客数人が降りる
ほんの数十秒のあいだに
車内に雪が積もったのです。
こりゃ、ボタンが必要だと
納得したのですが、
昨夜の『月曜から夜ふかし』を
ご覧になった方はおられますか。
マツコ・デラックスや
村上信五が好きな私は時々
あの番組を見ているんですが......
滋賀全力中年


昨夜のテーマは
『夏休みに行きたい県で
ワースト2を記録した滋賀県』でした。

渋谷の街頭でインタビューすると東京の人は
「あの辺りって、何処に何県があるのか
よくわかんない」と
言われてしまったのですが、
かつてjujuさんと会話した時のことを
思い出してしまいました。
彼も滋賀県の場所を知りませんでしたが、
その時に私は
「琵琶湖のあるところで、京都の右側」と
鷹の爪団の吉田くんが
島根県の説明をするように
言ったのですが......

滋賀全力中年

憧れてたんやで、あの頃。
十何年ぶりに電話した旧友に言われて
驚くやら恥ずかしいやらでした。
彼が私なんかを憧れてくれたきっかけは
母校が年2回発行していた文芸誌に載った
私の書いた小説だったと言います。
確かに私は彼に
その雑誌を手渡した記憶がありました。
何せ、作品を掲載された作者には
百冊くらい段ボール幾つかに分けて
家に送られてくるんだから、
片っ端から「枕の足しにしてください」と
配って回らなければ
部屋に足の踏み場もなくなってしまうのです。
それにあの雑誌は、まだバブルの余韻を
引きずっていた頃のことだから
装丁なんかも半端なく豪華な代物でした。
誰も読みはしないだろう。
だから私は、やけに重たい雑誌を
手当たり次第にばら蒔いていたのです。

書いてしまったら反省と後悔ばかり、とは
多くの作家やミュージシャンが言うのを
見聞きするものですが、
アマチュアの私だって同じことです。
当時のことだから
原稿用紙に書きなぐった私の駄文が、
活字で印刷されていると
それらしく見えてしまうから
ちょっとだけ有頂天にもなります。
そして読み始めると、
貴重な紙資源を無駄にしてごめんなさいと
六甲山のてっぺんに住んでいると
当時勝手に思い込んでいた
神様だか仏様だかに謝りたくもなり、
誰も読みませんようにと
お百度参りでもしようかと
本気で落ち込んだものなのです。
それでもその後数年間は
表現する仕事に従事したりして
瑚口を凌いだんですから、
恥知らずの謗りを免れません。

阪神大震災があって、私の部屋は
壊滅状態になったことから、
あの雑誌を一冊も私は持っていません。
それを良いことに、黒歴史として
私の中では封印していたのですが、
その話を読んで実力の差に
自らも小説を書いたことがある彼は
筆を折ったというのです。

実は私こそが彼に憧れていたんです。
大学の4回になって、就活の頃に
彼にどうするのと訊ねると、
パイロットになると真顔で言いました。
ちょっと待てよとたしなめましたが、
彼は勝算ありといった風情で、
私の心配などどこ吹く風でした。
その少し前に白浜に行った時には
驚くほどの知識と話術で
魅了されたものです。
彼と初めて会った時には
バンドをやっていた私は
まっきんきんに髪を染めていましたが、
私が白い目で見られていることなど
まったくお構いなしに
いつかオレもやるねんという彼の
卒業間際に見せたまっきんきんな頭には
度肝を抜かれたものでした。
滋賀全力中年


なのに 永遠の嘘をつきたくて
探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて
今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
一度は夢を見せてくれた君じゃないか

パイロットの夢は冗談などではなく、
彼は大手の航空会社の体力測定も英語も
クリアしながらも
人事面接で落とされたと笑いましたが、
後に不動産会社に勤めて独立を果たし、
いまは社長になった彼に呼ばれて
妻と二人でお宅に訪問しました。

私の夢がそこにありました。
私はこれからそこへ何年かけて
たどり着くことが出来るのか、
もうあれになりたいこれになりたいという
そんな夢は見なくなったけど、
遠回りしているのは
あのときに出会ってしまった
あいつのせいだと
具体的に脳裡を掠める者たちを
追い払いながら遠回りしてきました。

たとえ くり返し何故と尋ねても
振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを
聞けるまで尋ね続けてしまうものだから

それは疲れるだろう。
それは終わらないね。
もういない、過ぎ去った者たちに
殴りかかる準備は
とんでもなく辛いからね。
十何年会わなかったのに
私が何に疲れはてたのかを
手に取るように彼はわかったようです。
私は確かに疲れていました。
疲れきって滋賀に来て、
よせばいいのにまだ殴りかかる準備に
せいを出していたのでしょう。
だから吉田拓郎の歌を聞いて......

でも がんばらないけどいいでしょう
私なりって事でいいでしょう
がんばらなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう

涙が止まらなくなったことも
しばしばでした。
でも、憧れの彼は優しい言葉で
私の脳天をぶちのめしてくれました。

みんな、夢なり目標なりを叶えるために
それが間違ってようが正しかろうが
手段を選ばない。
叶えなきゃ話にならないからね。
そりゃね、手段を選びたかったよ。
私の夢の場所にいる彼にそう言われたら、
がんばらないけどいいでしょうとは
言えなくなってしまいました。

傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく

放っておいてくれと最後の力で嘘をつく

嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
滋賀全力中年


吉田拓郎はいろいろ成し遂げた人だから、
あれを歌ってさまになるわけです。
明らかにこの人どうしたんだろうと
私には思えていた頃には、
中島みゆきに『永遠の嘘をついてくれ』と
言われてしまった訳ですね。
さて、まだ何も成し遂げぬ私は
永遠の嘘を誰につくのか。

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人など
ないと笑ってくれ

思えば十何年ぶりの彼だけに限らず
妻にもK本さんにもあと......
何人の人にまだ旅の途中だと
言われたんでしょう。
きょうは何して楽しもうと
誘われ続けたのでしょう。
いろいろなければ滋賀にも来ず、
妻にだって会わなかったという事実を
私は迂闊にも見過ごしていました。
神も仏もないと彼は言いましたが、
六甲山にも富士山にもいない。
誰かが私を憎んでいると
自分の不幸を呪っていたのは
他でもない自分の勘違いだった......

永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人など
ないと笑ってくれ

時が過ぎて視点が変わると、
善人も悪となり悪人も善となる。
書き残すことが怖いのは
残酷なまでに私の変節を
突きつけてくれることです。
だから私は昔書いた小説も読めず、
この数ヶ月ブログを更新することが
全くできませんでした。
ただ、それじゃ楽しいことを
見つけられそうにもないんで、
シガチューを久しぶりに始めます。

そう言えば、つま恋で中島みゆきが
退場したあとに吉田拓郎が言っていた......
みんな年を経てきたから、
いい人になったんだよね。
若いころはいやな奴だったんだきっとね。

しばらく寝てて気がついたら、
吉田拓郎だけじゃない。
中島みゆきまでが
オールナイトニッポンをやっていました。

お久しぶりです。

歌暦61年の初春、
あげましておめでとうございます。
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お久しぶりです。
年末からお引っ越しやら何やらで
バタバタして、
年が明けたら明けたで
アベノミクスに乗り遅れまいと
妻と突っ走りながら、
時おり中島みゆきの夜会DVD
『24時着0時発』を視るのが
目下最大の楽しみであります。
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このブログを始めたのは
もう5年も前のことですが、
その中でもこの1年数ヵ月は
極端に時の流れを速く
感じております。
それで、ほぼ日刊も
半年近く休んだりとか
ザラになってしまいましたが、
その間にいろんな方々が
ブログを辞められたのが
寂しく思ったりしているところです。
しかし、始まりがあれば
終わりもあるのは
当たり前のことで、
夜会で言うなれば
「何処かであの人が
生きてさえいてくれれば」
それでいいとも思ったりします。
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終わりと言えば、27年前のこの日。
中島みゆきはオールナイトニッポンで
番組の終わりを告げましたが、
さっき放送された復活特番で
この4月からの
『中島みゆきのオールナイトニッポン
月イチ』のスタートを
発表しました。

本当のことは 無限大にある
すべて失くしても すべては始まる
無限・軌道は真空の川
ねじれながら流れる
無限・軌道は真空の川
終わりと始めを繋ぐ
……………
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うちのばあさんが死んでからか
私が滋賀に来てからか、
妻と出会ってからか……
何処から軌道が替わったか
転轍機が何処にあったのか。
でも間違いなく軌道が
替わったように実感します。

誇らしくもなく 珍しくもなく
普通の暮らしの一日のように
或る朝 或る夜 君は乗るだろう
懐しいあの人々と
永遠をゆく鉄道の客となって
……………
無限・軌道は真空の川
ねじれながら流れる
無限・軌道は真空の川
終わりと始めを繋ぐ

中学の時、オールナイトを
聴くラジオを取り上げられたことも
6年前の復活特番を聴くことを
騒ぎを起こして妨げた前妻も
今じゃ、いい思い出です。
すべての伴走者にありがとう……
でも、最高の新妻へまず感謝。