生きるためには | 線維筋痛症のおひとりさま中年日記

線維筋痛症のおひとりさま中年日記

はじめまして、ペーパームーンと申します。
自分の線維筋痛症や子宮内膜症など持病のこと、実家の父の病気のことなど書いています。

生活保護を受けるしかないです。
役所に相談に行ったら、両親の年金は生活保護の基準以下と分かりました。

私は今、週の半分は通院で、医療費もとても掛かるし、体力も気力も全く回復しないまま、生きながらえている状態です。

このままの経済状態だと、家族みんな崩壊する。

アスペルガーの父は一度仕事の面接に行ったけど不採用。

「出来ることなら働きたくない」とハッキリ言います。

父が若い頃からギャンブル依存だったせいで、我が家は貯蓄もできず、年金も少なすぎる(これは、父たち団塊の世代はみんなそうだと思います。父の親世代に比べて、給料から引かれる厚生年金は高額だったにも関わらず、給料が安かった親世代よりも年金が少なすぎる問題)せいで、生活は余計に苦しいです。
しかし、父は元気なのに働こうとしなかった。

今日、父が付いてきてと言うので、仕方なく私はシルバー人材派遣に付き添いました。障害のある娘が付き添いっておかしいけど、父は一人で行けないんです。電車もバスも乗れないし。

でも、まともに求人票も見ずに、職員さんに横柄な態度を取るだけ。

本気で働こうとしてない。

私が父のように健康なら、働ける仕事はいくらだってあります!!

どんなに働きたくても、心身ともにボロボロな私は外で働けない。悔しいです。

しかし、毎月赤字の家計で、このままの収入でやっていけないのは、父とて分かっている。

でも、働く気がない…

そして、死ぬ気もない父。


私が生活保護を受けるためには、アパートを借りるお金もないので、まずはシェルターに逃げるしかありません。

しかし、来月には順番を半年待った発達障害の検査を控えており、今環境を変えることは出来ない。環境を変えたばかりだと、正確な検査結果が出ないからです。

現在、私は
婦人科
心療内科
皮膚科
アレルギー科
眼科
歯科
に通っています。

ひどいときは週4で通院してます。

なんにも楽しみなんかありません。

疲れて疲れて疲れて、痛くて痛くて痛くて、男が怖くて、怖くて、消えてほしくて、、、

とにかく、痛いところだらけなので、今すぐにでも消えたい。

希望なんて持てない。


家でも大声で怒鳴るアスペルガー虐待父親に虐げられる日々。
まあ、本人は虐待してる意識がないんですけどね。そこが問題。
悪気がなくても、虐待してくるし、モラハラすごいし、でも本人は自分が悪いと己を省みることは決して、決して、無いので
父が反省することは生涯ありません。

自分が虐待して、私を男性恐怖症したくせに、罪の意識はゼロです。

加害者と一緒に無理して住み続けることは地獄です。
傷が癒えることはない。

しかも、とうの犯人は一人だけストレスなくて、健康ですから。毎日遊び歩いてますから。

私と母だけがさまざまな病気を煩い、苦労しています。


私が少しでも健康なら、良かったんですが。

結局、腰部脊柱菅狭窄症は治ることもなく。痛いまんまです。
結局、腰椎関節の変形の原因は分からないまま。先天性かも?と医師に言われたこともありますが、本当の所は分かりません。
手術しても、狭窄症の痛みが根治することはありません。
私は馬尾神経?もやられているので、坐骨神経痛もあり、腰や背中だけではなく、臀部から足の裏まで痛みがずっとあります。排尿障害や排便障害もあるので、辛いです。

そして、歩くと3分くらいでそれらの痛みは激痛に変わります。

シルバーカーで時々腰かけて休んでらっしゃる、お年寄りの気持ちが私にはよくわかります。

狭窄症は、座ると少し軽快して、また歩けるから。
シルバーカーを押す勇気もなく、痛くて耐えられないときは地べたに座りたくなります。

私はとても不自由な生活をしています…


なんでこんなになるまで、私はいろいろ我慢しちゃったんだろう。

なぜ、祖母や家族の犠牲になる生活をしてしまったんだろう…

祖母と父は私を利用することしか考えていなかった。

母は虐待から私を助けようとしなかったし、私の訴えを信じてくれなかった。
そして母も私に暴力をふるっていた。恐らく、暴力をふるわれると子供がどんなに痛いか、心も傷つくかの想像力は母には当時、無かった。
母もアスペルガーの特性を持っているようだから。


様々な虐待の背景に、親の発達障害が潜んでいることに、人々はなかなか気が付けない。

家庭、という檻のなかで、子供は助けを求める術を知らない。というより、親に捨てられることは死ぬことより怖かった。愛して欲しかったし、良い子でいないといけなかった。悪い子は山に捨てると父に言われていたし。橋の下で拾ってきた子供、とも。

そもそも、小さい頃は子供はみんな親に痛いめ合わされているものだと思い込んでいた。

でも、友達に聞くと、友達の親は友達を殴ったことはない、と言う。
ひどいことも言わないし、いやらしいこともしないと。

自分の常識は世間では違っていて、普通の家庭の子供は痛いめになんて遭っていないことを私は知ったけど、知ったところで助けを求める術を私は知らなかった。

ただ、泣きながら耐えるしかなかった。

今でも思う。早く死んでおけば良かったと。

私はとても我慢強い子供だったと思う。必要以上に。悲しいほどに。

多くの子供たちが親のせいで命を落としている。
私はそうした事件に自分を重ねる。

施設も安心できる場所とは言えない。一時的に中学のときに施設に逃げたことがあるけど、私にとって、そこは恐いところだった。
場所にもよるかもしれないけど…


話がしょっちゅう脱線しているけど、これもADHDの特性です。

障害者の支援センターの方の面談を受けて、生活保護やショートステイ、障害年金のことなどを相談しています。

今は、通院だけでもいっぱいいっぱいで余裕のない状態で、とりあえず、発達障害の検査が終わらないと、生活保護も障害年金の申請もまだできないし、しないほうがよいとのことです。私も、そう思います。

でも、早くこんな家から逃げたいという焦った気持ちから、何事にも無理してしまう。

もし、病人や障害者の人がいたら、そのサポートをする家族は、その人をゆっくり休ませるために、気を遣ってくれると思います。症状が良くなるように…
でも、私の家はそういう家じゃない。

母はともかく、父は自分のことが一番大事だから。父は自分のことが一番の優先順位で生きているから。

だからなのか、一人で職安にも行ってくれない。

人の話を聞かず、電話を一方的に切るし。何度も何度も注意しても変わらない。
人の話に自分の言いたいことを被せてくるから、常にストレスを与えられる…

「人の話は最後まで聞く。
途中で遮るのは、失礼になるし、相手を不快にするから、してはいけない。
自分がされて嫌なことは、他人にしては、いけない。」
こういうことを、私や母が注意しても治りません。

祖母もアスペルガーだったせいか、甘やかされて育った息子だったせいなのか、父はちゃんとしたしつけがされていません。
歯磨きをする習慣が無かったし、髪の毛を洗うのは月に1,2度くらい…

食事の席でTPOをわきまえず、大きな声で失礼なことを言ったり…


とにかく、私は父から離れないと生きていけない。

父は、ムリ。

でも、つい父の面倒をみてしまう。

結局、私は父の保護者みたいなもんなのかな?
そんな人生はいやだし、おかしいのに。


なかなか状況が先に進まないことで、私の我慢も底をついてます。

私はまずは自分の病気を治さないと働けない。
治すことに集中、というか、休ませてほしいのに…

いろんなことが、上手くいかないことばかりで、苦しい。
父への憎しみばかり膨らむ。
同時に父は可哀想な人でもあり、とても幸せな人でもあるなと思う。
自分を責める、罪悪感というものを感じることがない人生はとても楽だと思うから。

まあ、私だって父のADHDの特性を遺伝してる訳で、私みたいな出来損ないが言えることじゃないかもしれないけど。世間からしたら、私も父も、得体の知れない同じ発達障害の人、かもしれないし、差別される立場なのだろうけど。

父はかなり多動なので、本当に落ち着きがなくて、お喋りなので、ADHDの特性もかなり持っています。
でも本人は、
「自分は人とは変わってる」
と気がついてないですが…


父のことを考えると疲れます。
考えることをやめられないのも、ADHDの特性。
疲れます。頭の切り替えがどうしても上手く出来ない……


文章が、何を言いたいのか分からないものになったけど、これもまた、今の自分の状況なので。
そんな自分のことも、いつの日か受け入れられるようになれたら、生きやすいのかな、と思います。

自分を責める考え方の癖は辛いですね。

父を責めて生きるのも辛いけど。

一つだけ分かるのは、もう父が職安に行くときに付き添ってあげるのは、止めようということだけです。甘やかしてもろくなことない。

私は、休みたいです…