今日ご紹介するのはカルロス・ハスコック です。第1弾に続き狙撃手です!最後まで見ていって下さい!
カルロス・ハスコック
1942年10月アーカンソー州リトルロックにて産まれた。
幼い頃から海兵隊に憧れていた。
海兵
17歳になりアメリカ合衆国海兵隊に入隊。
その時に隊長に、
「狙撃が優れている。訓練を積んで狙撃手になれ」
と言われ適正を見出された。
基地を転々とし、狙撃の腕を磨いている。この時期で、カルロスの射撃の腕は類稀なる才能を発揮していたと言う。
海兵隊の規定する狙撃訓練課題の1つであるAコースでは、満点が250点である試験で248点 を叩き出した。
1960年前後に打ち立てられたこの記録は現在でも破られていない。
更に...全名の名手3000名が集まるライフル射撃の競技大会ウィンブルドン・カップ にて優勝!
アメリカ狙撃兵の頂点に立つ (23歳)
初陣
当時泥沼していたベトナム戦争、その中既に地の利を取られていた、第55高地への出陣だった。
状態はもの凄く悪く仲間の士気が下がり続けていた。
そこでカルロスのとった行動、wansyotto:wankiru (一撃で倒す)相手はこれにより即時にまともな対策が打てず、次々と倒れていく仲間も見て、士気が下がり、混乱へ陥った。
これにより狙撃に対する事件が30件から1件にもなった。
カルロスの姿を捉えた敵軍は特徴的な帽子から
ホワイト・フェザー
と名付けられ彼の名前は大きく知られる事になった。
スナイパーにとって存在が知られる事が危険なのに
そこでカルロスを大きく見た敵軍はベテランスナイパーの「コブラ」にカルロス殺害命令をだした。
そしてコブラ対カルロスが始まった。
先に有利になったのはコブラ、囮を出し、倒した後の油断をつく作戦だった。コブラは頭を捉え後は引き金をひくだけだった。
その時....カルロスが動きだした頭が狙えず、撃てなかった、するとカルロスは銃を出し、450mも離れたコブラを貫いた。
そして仲間が聞いた
「どうして450mも離れた敵を撃てたんだ?」
そうするとカルロスは
「スコープに反射する光を狙った」
仲間は悶絶した。
この戦いは後にcat and mouth と名付けなれ後世に語り継がれていった。
次の戦い、エレファント・バレーの戦い この戦いは 200人に包囲された友軍を助け出す事。
かなり状況は悪く、場合によっては命を落とす危険な戦いだった。
まず指揮官を撃ち、通信兵も撃ち、相手は得体の知れない恐怖を覚えた敵軍は士気が大幅に低下。
これによりカルロスは200人の敵軍からたった2人で5日間も守り切った。
そこで、仲間がこう聞いた
「なんで帽子に白い羽根を付けていているんだ?それは臆病なチキンの象徴だろ?しかしお前の戦いぶりは勇敢そのものじゃないか」
そこでカルロスは、
「臆病は狙撃手にとって大事な事だと思うんです。臆病ということは慎重とも言えますから、帰りましょ」
と言った。
水陸両用車帰ってる途中、対陸車地雷によって大破。
自信が重症を負いながらも仲間を優先し、助けている途中に気を失ってしまった.......
13箇所の皮膚手術によって一命を取り留めたが後遺症が酷く、戦争からは離脱する事になった......
〈終わり〉
第1弾に続き狙撃手ですが満足頂けたでしょうか?
狙撃手は書きたくなる物です!かっこいいので!
最後まで見て頂きありがとうございました!😭🙏
紹介してほしい人物など居たらじゃんじゃんコメントにて宜しくお願い致します!
それではありがとうございました!