子供達が不登校になってから

この言葉をよく見かけるようになった凝視



最近になってから

この言葉の意味が身にしみるというか


子供達へ向ける自分の感情なども

きっとこういうことなんだなとおもった真顔


基本的に怒りっぽい人

ストレスをためやすい人は


ストレス耐性が弱く

感情の器も小さかったり

精神的に未熟だからだと思う



大人になるということは 

何も社会にでて労働して

一人で生きていけてれば

じゃあそれでいいという訳でもなく 


要は精神的に大人になれてない人は

年を重ねても結局は幼稚で未熟者なんだと

思う


姿は大人でも中身は子供真顔

(コナンくんと一緒だね)



それらの理由として

その人の生まれ持った環境や

遺伝的要素もあるらしいけど



嫌なことがあったときに

他人に八つ当たりして攻撃したり

普段愚痴ばかり吐いてる人というのは

自分の感情をコントロールすることが出来ないのでそういった行動にでる



周りからしたら害しかないんだけど


それに気づくこともなく

そうやって周りに負の感情を撒き散らして

必死に自分の感情を落ち着かせようとする



また反対に

周りに嫌なことをされた時に

それを我慢して何も言わないのも



自分の感情に蓋をしてるだけで

自分の感情に真摯に向き合っていない為


後々感情が爆発して

感情の器の限界値を超えてしまう真顔



多分そういう人達は

自分が嫌な気持ちになった時に

すぐ他人や周りのせいにする癖が

ついていて



じゃあ何で今

自分はこんなに怒ってるのか

負の感情が湧き出てくるのかと


その時々で

自分を俯瞰してみることが 

できないんだろうなと私は思う


そう考えて当てはめてくと


自分の子供の不登校への負の感情が 

なんかわかってくるというか


根本は子供の不登校が原因だからではなくて



自分の感情のコントロールが

うまくできてないから

そうしてしまうんだと

理解ができてくる


自分に何か嫌なことが起きたとき

自分で感情をコントロールすること

 

自分で気を紛らわすことが 

出来るようになることが

とても大切なことなんじゃないかと思う



不登校の子供達からすれば

親が自分のことで勝手に不機嫌になったり

余計な一言を言ってくることは

この上なく迷惑なんじゃないかなと思う


自分がもし辛いことがあったら 


助言や叱咤激励よりも

まずは辛い気持ちを聞いてもらえること 


ただただ相槌だけでいいから

優しく聞いてもらえること


そういった弱い姿を見せても

何も変わらず

今まで通り変わらず接してくれる人


でも助けてと言ったら

嫌な顔せずその時は

協力してくれる人


そんな人だったら

自分は相談できるなと思う


子供達の不登校に付き合ってきて

もう数年経つけれど


今までの自分はきっと精神的に未熟だったし

人への思いやりとか

そういった気持ちも欠けてたんだなと

子供達と接してきてそう思う



だからといって

自分はそんなに出来た人でもなく 

全然未熟だから

すぐには変われないかもしれない 



でも何か負の感情が湧き上がった時に

今一度立ち止まって

自分の気持ちを整理する


それくらいのことは

できていけたらなと思うし


これからも意識して

そうしたいと思う


まあ今の自分の姿としては

子供達が不登校になった時よりも

少しはマシかなとは

思うけれどねにっこり