20151013
お盆にばぁちゃんが突然肺ガンになって余命3ヶ月を言われて、少しでも介護の手伝いができないかと13日昼から5日間鹿児島帰省をしていました
介護のつもりで帰省をしたけど、10月13日の朝に叔母のたんこ姉ちゃんからやばいかもしれないと連絡を受けて、空港に向かうまで母親の町子ちゃんやばぁちゃんの妹しぃちゃんや旦那と連絡を取りながら
モノレール乗り換えの南茨木駅の段階で、町子ちゃんに電話をしたら
『もぅ息が止まりそう…』
と泣きじゃくりながら
うちは涙がこらえきれなくてモノレール乗って、空港に着いた時に
ばぁちゃん死んだ
のLINEが入りました
空港で号泣して
飛行機乗って
ばぁちゃんげぇに着いて
溝辺1かわいかったばぁちゃんが
きれいにお化粧をして溝辺1美人になって寝ていました
帰省したらばぁちゃんにいつもしていた様に
頭をなでで
肩と背中をさすって
ばぁちゃんまだ温かかった
3時間しか経ってないから
温かかった
ばぁちゃんを喜ばそうとした和装もお守りも
間に合いませんでした
勝手に余命を言われた11月までは大丈夫と思っていたから
こんなタイミングでばぁちゃんと話ができなくなるなんて思っていなかった
すごく悔しくて
誕生日おめでとうも
あけましておめでとうも
敬老の日の電話も
する必要が無いんだと思ったら
電話にでた時の
『朝美ちゃんやぁ~』の声が聞けないと思ったら
すごく寂しいです
段々物忘れが激しくなっていく中、ばぁちゃんが忘れない様に生活の中で頑張ってた跡がすごく切ないです
帰省中は仮通夜本通夜葬式とばぁちゃんげぇの掃除と自分の父親の墓参りとバタバタしていたから
京都に戻ってきてから後悔の波が何回も押し寄せてきます
もっとたくさんばぁちゃんって呼びたかった
今もまだばぁちゃんが夢に出て笑ってくれます
夢の中だけでも、たくさんたくさんばぁちゃんって呼ばせてね
ばぁちゃん