唇が触れた後を、海風がひやりと撫でていく。
纏わり付いていた身体も同時に離れて。
戸惑い俯く私に
「…それまでの人だったんだよ、きっと。」
と。
その穏やかな口調のまま言い放つ。
「だから、もう彼のことは忘れたらいい。」
忘れろって?
カズのこと?
「忘れられない?」
私がコクンと頷くと。
「…行こうか。」
腕を掴まれた。
ふわりと柔らかな感触。
「あの…っ…」
「着いておいで。」
彼に腕を引かれ、人気の少ない道を行く。
そして辿り着いたのは。
私がさっきまでいた
バーのあるホテルの裏の方。
パーティーの日に
彼とも訪れている噴水広場。
「ここさぁ…」
彼が、噴き上げる水柱を見上げて口を開く。
「俺も教えて貰ったんだ。」
懐かしむようなその瞳に光を映していた。
「誰にですか?」
「…その人とは、今でも時々会ってはいるんだけどね…昔みたいにふざけたり、くだらない話したりとか、すっかりしなくなっちゃったんだよね。」
そう話す彼の表情は、どこか寂しげで。
「そうなんですか…」
「でも、この場所はあの頃と変わらないんだよ。俺らが変わっていってもずっと。ここに来ると、ライトに照らされた水しぶきがキラキラ散ってるのを、初めて見た時の感動まで思い出す。」
だけど、その優しい声色と。
「…本当に綺麗。」
「ふふっ。…でしょ?」
少しだけ自慢げに微笑む彼からは。
「ふたりでまた来たらいいのに。」
「…そうだね。また一緒に見たいなぁ。」
凄く大切な人との想い出なんだなぁ…って思わされる。
「きっと喜びますよ。その方も。」
「そうかなぁ? 覚えてるといいけどね。」
柔らかなその微笑みに、これ以上の言葉は掛けられなかった。
彼の心には今、どんな素敵な人が浮かんでいるんだろう…?
「ねぇ、今何時か分かる?」
「えっと…11時…半、になるとこです。」
私がケータイを見て答えると。
「そうか…じゃあさ、あと30分待ってよ。」
「えっ…?」
彼が何か思い出したかのように笑う。
「ここの噴水、実は仕掛けがあるんだ。君に見せたい。」
「仕掛け? 見たいです。待ちます!」
そして、待っている30分間。
「…わぁ、見て下さいっ。水を掬うと、ここに照明が映って綺麗ですよ!」
噴水に溜まった水を掬って彼に見せたり。
「あー、またブレちゃった~」
噴き上げる瞬間を写真に収めようと奮闘したり。
「綺麗…私、今の色が一番好きかも!」
変わりゆくライトの色に染まる、水しぶきをじっくりと眺めてみたり。
それを、彼はずっと優しい眼差しで見守っていてくれた。
私が笑いかけると彼も笑ってくれる。
とっても楽しい時間。
「あっ。もうすぐ12時ですよ!」
「そろそろだね。」
私がケータイの画面を見せて時間を教えると。
「楽しみ~」
「俺も。久々に見るなぁ。」
と、少年のように目を輝かせる彼。
何が起こるんだろう??
楽しみだなぁ…
そして。
ジャスト12時。
パッ、とライトが消え。
「えっ…?」
真っ暗闇と化した広場。
そんなのは、ほんの一瞬のことで。
「…わぁ…」
息を飲む程綺麗だった。
虹色のライトに染められた水が
高く高く噴き上げる様。
僅かな時間だけ一気に噴き上げ、その後はそれまでと同じパターンの色とリズムで、広場は照らされる。
「…どうだった?」
「凄く…綺麗でした…」
単純な言葉しか出てこない。
この街に。いつも訪れていたこのホテルに。
こんな素敵な場所があったなんて…
「ビックリしたでしょ。」
「はい…」
彼は、さっきみたく少し自慢げに笑った。
「ふふっ…そうなるよね。初めて見た時、俺も圧倒されちゃったもん。…って…えっ!?」
「うぅっ…ごめんなさい…」
気付けば涙が溢れていて。
「そんな…泣かないで…」
「…ごめ…ん…なさ…」
そんな私の心には。
「…ねぇ、こんなこと言ったら怒るかもしれないけどさ…」
「ん…」
カズのことが、浮かんでいた。
「綺麗だね…涙にライトが反射してる。」
「本当…?」
カズにも見せてあげたかった。
こんな綺麗な場所があるんだよって、教えてあげたかった。
「本当。拭うのがもったいないくらいだよ。」
「ふふっ…変なの。」
彼の言葉に泣き笑う私の目からは
一体何色の滴が落ちたんだろう…
~続~