文学者のうちで誰を一番尊敬しているかときかれると、私は返事にこまる。尊敬しているといえば、そういう人は沢山ある。しかし、一番誰を尊敬しているかときかれると、分からなくなる。私は、実は、そういう選択をするほど、文学者というものを知らない。人を強く尊敬するようになるには、作品を読んだだけでは足りない。その人によく接して見る必要がある。学者でも文士でも、作品がその人のすべてではない。
 私は作品を読んだだけで、その人に私淑する気にはすぐにはならない。その作品に感心することは沢山ある。それですぐその作者の人柄を識別できるほどの洞察力というようなものは、私にはない。勿論、作品で作者の人柄らしきものを想像することはできる。しかし、それだけで尊敬するということはない。好感はもてても。私は何かに感動しても、すぐそれから次の行為うつるということができない。感動が尊敬にまで変わるには、もっといろいろの要素の媒介が必要であるように思う。私はこれまで作品を読む機会は多くとも、深く文学者とつき合う機会はなかった。外国の文学者にいたってはなおさらである。
 伝記を読むことも多い。人の日常の行為や生涯を知ると、親しみは湧いてくるが、尊敬というようなことは減ってくる。文学者の伝記は、多くは文学者が書いている。文学者は人のことでも他人行儀で書いていられない。この点で私はいつも文学者に感心している。しかし、はだかにした人間は、どんな偉い人でも、偉くないところをいっぱい露出する。そうなると自分との距離が近くなる。親しい感じをもつが、尊敬というような、一種の他人行儀は少なくなる。
 私に文学作品が深く分からないことからくるのかもしれないが、私は文学作品に強く影響されたというような記憶が無い。
 例えば、丘浅次郎『進化論講和』を高等学校一年生の時読んだ印象は深い。学問の面白さを強く教えられた。その翌年読んだ川上肇『貧乏物語』は、私を経済学をやる方向に強くひいた。同じく大学生時代に読んだ山川均『社会主義者の社会観』や沢山の論文は、私の日本人から受けた影響のうち最大のものであったように思う。カール・マルクスから受けた影響は、私の生涯の考え方を決定した。
 丘浅次郎には会ったことはない。河上肇は大学を出た年に会ったが、私はつまらなく感じた。深刻さを求めるポーズがはなについたし、迫ってくる力を感じなかった。会ってきらいになって帰ってきた。しかし、その死後、自分の弱点をさらけ出した『自叙伝』を読んで、多少ちがった感じをもった。山川均はその後親しく接するようになって、ますます考え方や生き方に影響を受けていると思う。マルクスにいたっては、いまなを私は彼の考え方の中で泳いでいるようなものである。
 ここにあげた例のような意味で、文学作品から影響を受けたことは、私にはないように思う。しかし、影響を受けなかったはずはない。多分私のような傾向の者には、文学作品と思想的な作品とでは、影響の仕方がちがうのではないだろうか。例えば、一つの社会の伝統とか習慣とか風俗とかいうものは、子供の時から気にもとめないうちに、じわじわときわめて自然にわれわれ自身を形成して行く。それらのものは思想や科学以前のわれわれを作り上げている。文学の影響は、少なくとも私にとっては、そういうふうに作用したらしい。
 私は文学作品を好んで読む。あまり刺戟のない田舎に育っているので、大都会で育った人々のように、早くから沢山の高級文学書を読んだわけではない。しかし、同級生の中では多く読んだ方であったろうと思う。それから、文学書に限らず、読書が好きな方であったであろうと思う。ところが、私は文学に関した仕事で身を立てようと思ったことはないし、また、そういうことが自分に出来るとも思わなかった。その意味で文学書に没入するような読書時代を持ったことはない。文学書の読み方が、何か客観的とでも表現するか、いわば少し遠いところから手をのばしている感じだったのであろう。文学作品を読むことからくる影響はいつの間にか身にしみこんでいるだろうが、際立って、いつ何を読んで、こういうことになったというような記憶はない。さきほどあげた科学に関する本が、私の考えや、私の行動に及ぼしたような影響の痕跡を、文学作品についてさがすことは、むずかしい。
 私のように、文学は好きでも素人にとどまる人間にとっては、文学は多くは私におけるように作用するのではないかと思う。だから、文学の影響というものは、人生に大したものでないと考えたら誤りであろう。誰も感づかない前に、いつとはなしに文学の影響がしのびこんで、われわれの性格になってしまうものであるからこそ、一国民がすぐれた文学を豊かにもっているかどうかは、その一人一人をよくするか、悪くするかに大変な関係がある。文学のみがこれに関係があるということはできないが、文学も重要な要素である。
 単に国民一人一人でなく、国民の全体が文学作品にうたれたり、作中の人物の行動に同感したり、反感をもったりしているうちに、ごく自然に共通の意識をつくり上げ、日本国民特有の生活、文化をなす素地が出来てくるのであろう。こうして同時代の国民生活ができてくるだけでなく、過去と現在と未来の日本人を、やはり全体として結びつける。文学の大きな役割は、これらすべての日本人に具体的に何かを教えるとか、具体的に何か政治上の目的を達成するとか、このようなことにすぐ役立つということより、いつとはなしにヨリ正しい社会をつくっていく素地を国民全体のからだににじみこませているという点にあるのではなかろうか。ヨリ正しい政治的目標を達成しようという思想や政治行動の立場から見て、文学を余りに実用的に考えると、文学はかえって役に立たぬものになるかも知れない。いわゆるあまりに傾向的な文学が、浅い影響しかもたぬということは、文学の本来の性質から当然のことであるかも知れない。
 海綿は水をすうっと吸う。人間はこれまでに得てつくり上げられた固定した考えやものの感じ方をもっている。このことがどれだけ新しいことを理解し、新しい事態に適応することを妨げているか分からない今日のような社会では、このような性質をなくすることは、出来ない。しかし、それは一定の範囲内ではできる。文学は人間の精神の中にある固定しがちな精神をいつでもほぐす役割をすると思う。つまり、ヨリ正しい、ヨリ新しい精神を、海綿が水を吸い込むように、自然に吸いこむ素地をつくる役割をする。文学は人間の動物的なところも、或いはもっと高貴なところも、余すことなく追求して、人間をあまやかさないで、個人や国民がいつでも自己反省できるような精神状態におくだろう。こういう仕事は、芸術、特に文学が果たしうる。
 私は、文学はこんなものだと思っているせいか、強い好ききらいはない。明治大正時代の作品を特に多く読むのは、この頃では、その時代の歴史を一度は書いてみたいと思うからであって、必ずしも文学としての興味だけからではない。明治三十年に生まれ、明治大正にわたって少青年時代をおくった私にとっては、やはりこの時代に対する一種の郷愁のようなものを覚えるのかもしれない。
 自然主義の文学、藤村、漱石、鴎外等を比較的多く読んでいることは、一般インテリゲンツィァの型通りだろう。ことに後の二者については、全作品、日記、書簡まで、つまり全集を殆ど読んでいるのではないかと思う。これも、とくに意味はない。面白いと思う人の作品は、読みはじめるとあきるまで行きついてしまう、私のくせの現われであるにすぎない。日記、書簡まであきなかったわけである。
 西洋人の作品では、一番多く読んでいるのは、ゲーテとトルストイだろう。どうしてそうなったか、ということをきかれても私自身分からない。ゲーテは高等学校でドイツ語をやり、後にはドイツに行って、ドイツに親しみをもつようになったせいだろう。トルストイの『復活』を中学一年生の時『あかぎ叢書』で読んでから、大人になるまでに読んでいって、あの神学的な部分をのぞくと、殆ど読んだのではないだろうか。メレジコウスキー『レオナルド・ダ・ヴィンチ』とトーマス・マン『ブッデンブローグ家』は、今でもいろいろのことを考えるとき、思い出す作品である。
 私が少年時代に読んでいまも思い出す西洋の作品はシェークスピアの『ロメオとジュリエット』(坪内訳)である。中学にはいりたての時、どういうわけか家の書棚にあって綺麗な本だったので読んだ。無論少しも面白いとは思わなかった。どうしてか大人になって、このことを時々思い出す。
 日本の古典では、古典というのかどうか知らないが、芭蕉や蕪村の俳句が一番好きなようだ。病気で寝たりすると、これを解釈したのをよく読む。
 現代文学についていうならば、勿論、西洋の文学より日本の文学の方に親近感をもつが、『万葉集』や『源氏物語』や『枕草子』よりは、十九世紀以降の西洋文学の方が親しみを感じ、自分のもののように思う。もっとも、これらの「国文学」的古典は、実は読んだといえるほど読んでいない。つまり、はじめから、あまり近づいていない。