食卓のだんらんにひと役




 文明国では誰でも、一生本とつきあっている。われわれにとって文字とつきあえなくなるのが、どんなに淋しいことであるかを、つくづくと知ったのは、監獄である。始め数日は、本を読むことが許されなかった。私の入れられた三畳の室には、二冊の弁護士名簿があった。
 私は、これをくり返しくり返し読んだ。人名と住所と電話番号を書き並べただけの本でも面白くなる。人間には、まことにいろいろの名がつけられている。性と名とが、まことによく調和したもの、不調和のもの、ふざけてつけられたのではないかと思われるもの、いかめし過ぎるもの、思わずふき出すようなもの、つけられた人がかわいそうになるもの、士のようなもの、町人のようなもの、千差万別である。名前は、他の人がつけたものである。つけられた本人にとっては、姓名判断というものは意味のないことであるが、つけた人、それが父親であれば、父親の性格を判断する材料には、なるかもしれない。
 食事をする茶の間には、私の背に当たるところに本棚がある。試みにどんな本があるか、その一部をあげると、日本文学全集、有朋堂文庫、詩集、俳句集、漢詩集、『明治事物起源』(石井研堂)、『私の食物詩』(池田)、その他食物詩に関する本がいく冊かある。『近代日本の画家たち』(土方)、『江戸から東京へ』(矢田)、『唐招提寺』(亀井、塚本)。艦真和上のことが話題になる。いい写真がある。『日本資本主義発達史年表』(岡崎、楫西、倉持)、その他の年表類、『飛騨』(荒垣、細江)。『色名大辞典』(和田)。
 『色名大辞典』は、私の近所の三真書房の主人から、ある年のお年玉にもらったものである。私は、この本屋さんと、今の住所に移り住んでから仲良くすること十三年。
 この本屋さんは、下車駅のすぐまえにあるものだから、私のところを訪ねてくださるお客さんが、よく道をきくらしい。親切な本屋さんは、そのたびに私の家の道を、一々書いてくれる。それは大変だと思って、私の方で地図を騰写版ずりにして、この書房にあずけてある。来訪者は、ここで地図をもらって、安全に到着するし仕組みになっている。この本屋さんは、一昨年亡くなった。
 この『色名大辞典』は、いまは亡き人のかたみとなってしまった。私は時々、開いて綺麗な色を見て楽しむとともに、ありし日の三真書房主人をなつかしんでいる。
 この外、動物や植物、地理の本。その他通俗自然科学書、国語、外語の一般辞典類と人名辞典類。
 私の家では、若い人々が、食卓に集まる。一緒に食事をしながら、色々な話がでる。これらの本は、ここで出る話題を供給してくれたり、解決してくれたりする。このだんらんは、まことに楽しい私の家の習慣である。
 最後にねるときのために、、枕もとに本がおいてある。床にはいって、十分か二十分、これらを手当たり次第に手にとる。よき睡眠剤である。ここで本との一日が終わる。