いつから、どうでもいいやという
堕落した生活になったかというと、
これといった日時はハッキリして
いないけれども、明確な理由はハ
ッキリしている。今年も特別な夏
のイベントをこなすこともなかった。

神宮球場で野球生ビールも堪能し
たし、実家の夜空を見上げていた
ら、予想もしていなかった花火が
始まり、サプライズを堪能したし、
僕が気に入っていたパリッテの
CMソングの元ネタがアイスクリ
ームの歌であることがわかり、
YouTubeで何度も堪能した。

けれどもまあ、ここしばらく豊か
に生きていないことはハッキリし
ている。何か空しいもん。

エアコンのない生活はふた夏とな
ったが、今年は去年に比べて過ご
しやすい。ここまで蚊にも刺され
ていないことが救いか。

堕落任せに、散歩のお供にみたら
し団子を商店街で買って、川沿い
を歩く。

路肩駐車しているワンボックスカー
の助手席、スモークがかったガラ
ス越しに、サングラスをして、マ
スクをして、さらにフルフェイス
を守るサンバイザーをして、微動
だにせず座っている女の人らしき
人がいた。事情はよくわからないが、
今の僕の気持ちにダブって、疑問
を抱いてしまう。

木漏れ日、直射日光、木漏れ日、
直射日光と、じりじり、そうでも
ない、じりじり、そうでもない
温度差を肌に感じて、夏の思い出
づくり。

耳に集中させれば、この齢になる
まで、気づこうとしていなかった
のか、蝉の声は実に多様であるこ
とに気づく。

家の中でじっとりと聞く蝉の鳴き
声よりは、暑苦しくない広い空間
と風を感じる中で歩行移動による
刻々とした音源とのずれがさらに
興味深い音色となって、なんとも
心地よい夏の集中砲火である。

このような蝉の狂わしくも儚い感
じの声を聞いていると、さわやか
な思い出よりは、ちょっとしたこ
とでいざこざを起こして、友達と
絶交してしまったみたいな思い出
の方が夏の思い出としては相応し
く思える。

などと、僕の嫌いな画一的な蝉の
イメージをついつい書いてしまう。
まあ、それほどインパクトあるよ
なあ。蝉の声は。毎年毎年。